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明確になった問題は共有される。共有された問題は議論される。議論された問題は無害化される。
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先にタルパを認識できていなければオート化していないとも言える。
が、先にオート化していなければタルパを認識できないとも言える。
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前に発話による会話オート化に聴覚化が必要な理由で問題点があるという話をしたが、それについて関係ありそうな思考実験を見かけたので。
この答えについてはまだ自分で確信が持てる段階ではないので、暇があれば読者の皆さんも考えてみてほしい。
以前までこの問題は人間対人間の関係に置き換え、そもそも聞こえなければ声を認識できないといった遠回りな説明をするのが限界であった。
しかし、オート化について、感覚を付加した「感覚化」という概念と関連付けることで、これまでよりも本質に迫った説明を行うことが出来ることに気づいた。

この記事ではタイトル通り会話オート化と聴覚化の関係について上の観点から話を進めるが、まだ議論されていない潜在的な問題に対しても適用出来る可能性がある。また、そういった問題を発見することも出来るだろう。

ただし、適用するにあたっての問題が残っている。
ブログの内部リンク用まとめ
一部wikiから引用。完全脱却はなるはや
大雑把に切り落とした証明部分の解説がメインです
このシリーズは考察記事というよりエンターテイメント性が高いので、そういう感覚で見てってください
前にツイッターでそんな感じのことを言ってたなと

初期の目的なんて2,3年続ければ達成されるんだよね(何かを極めるとかそういうのでなければ)
だから一度達成したら次の目的、あるいはそもそも目的を持たずにやっていけるようなタルパーが長いこと続いてるんじゃないかな

実際、目的がタルパに与える影響ってちっぽけなモンですからね
タルパを通してどうするかより、タルパがどうであるかが優先されるよ。ここの勘違いは研究を進める上では大きな障害になるから、将来その道に進もうと思ってるタルパーは要注意です。
わりとアクセスあったので更に掘り下げてみる。面白いテーマなので今後も投稿予定

前回:タルパの客観性...
さっきのyahoo知恵袋での回答で思った。タルパの客観性について触れて考察してる人って結構少ないなぁと
確かに哲学的で難しいお題だし避けたい気持ちは分からんでもないが、まずそこをはっきりさせないと考察もクソもないだろと

...実は「主観」「客観」って言葉は明確に定義されているようでいて、全くの曖昧な言葉だったりする
だからこそ実態がないにもかかわらずにそれを有るかのごとく認識していて、そして意図的に(そうでなかったとしたら、なおさら)無視している現状はとてつもない大問題なわけだ

考察はどれだけ深いか、言い換えればどれだけ問題を抽象化して考えているかが、有用かどうかを判断するポイントになる
果たして、合格点をあげられる考察はどれくらいになるだろうか


といっても主観・客観の対立構造を超えて考察するのは本当に難しいことなんだけどね。ある意味これを無視する流れになるのはしょうがない。でもその無視された部分に一番大事なことがあるってのは知っておいてほしい
タルパが夢に出てくるという現象は頻繁に報告され有用性も認められるわりに、どうも使い道に困るといった印象がある。
そこで一つ、私がyahoo知恵袋などで夢関連の質問に対して回答する際のポイントを挙げてみよう。

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