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なんと去年のタルパ研究カテゴリ投稿数がゼロという悲劇。ただ何も進んでいないわけじゃない。ホントだよ?
やりたいことが多すぎて正直自分ですら把握しづらいし、将来的に記事にする予定の研究内容を(改めて)挙げておこう。

...という趣旨のまとめ記事、2024年版です。あまり変化が無いところは2022年版をそのまま掲載。
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なんと前回のタルパ研究カテゴリの記事から1年以上経ってしまっていたようだ。
ちゃんと研究進めてますよアピールをするために、将来的に記事にする予定の研究内容を挙げておく。
最近ずっと基礎研究やっててタルパの話をしなさすぎな気がしたので。
毎回タイトル考えるのめんどくさくて、結局ずっとこのままになりそう...
これから何度同じ話をするか分からないが、一応ナンバリングしておく。



先の記事で契機・存在理念・信念の3因子からなる図式を提唱したわけだが、その詳しい意義は全くと言っていいほど明らかではない。
問題なのは、タルパ現象論が研究手法として採用している問いの方法論がその図式に対してどんな意義を持っているのかすら、未だよく分かっていないということだ。

そこで、まずは問いではなく言明一般を図式に還元することを試みようと思う。特に対象としたいのは、日常的な文脈において現れる素朴な言明一般についてだ。
例えばすぐに「○○がある」のような最も単純な言明が思いつくわけだが、「ある」という言葉すら、考え方によってはどの因子にも対応させられる。契機・存在理念・信念の例としてこれまで挙げてきたような全ての観念に対して「○○がある」という文を作ることが出来るし、実際それは違和感のある文ではないだろう。

それにしても、この簡単な考察から次のような還元が帰結すると思われる。「○○がある」という言明のなかで「あるとされているもの(あると言われているもの)」は図式上の因子に対応すると考えるとすれば、「あるとすること(あると言うこと)」こそが図式上の因子間の作用に対応せねばならない、ということだ。
もしそうでないとしたら、この素朴な言明は因子間の作用に対応する様相・性質といったものを持ち得ないことになるが、それは直ちに言明を為すことがそもそも不可能であることを意味することになる。無論、実際は明らかにそうではない。依然として我々は「○○がある」という言明を無制限に為すことが出来る。タルパに対しても、やはりそうだろう。



...という趣旨のメモ書きを暇なときにブログに上げていこう、というのがこのカテゴリーの目的である。
基本的には1記事につき1テーマとしておこう。いくつも書くと、どうせ投稿するタイミングを見失うだろうから。

さて、最後にやった座談会からもう1年以上経ったことだし、その方面でも話したいことは山ほどあるのだが誰を呼ぼうか。とりあえずアイスさんかな?
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