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これまで触れてきたかどうかは別として、近々取り組みたいテーマを列挙しておこう。

これ以降、他の研究記事を引用する際は記事名の略称を用いて『用語』『全体性(第一部)』などのように記載する。
それぞれの記事の略称はSTUDYを参照。

今年からタルパ研究に集中したいと言っておきながら一発目の投稿に3ヶ月かかるってどういうことなんだという気がしたので、中途半端な区切りにはなってしまうがとりあえず投稿しておく。


1. 「現象図式」のタルパ研究全体における位置づけの整理

元々「現象図式」というのは『現象図式』§4にある画像のことを指している。
『用語(第一部)』の冒頭では「タルパ現象論で扱う図式の全体」のような書き方をしているが、これは厳密には誤りだ。§3の「因果性」「因示性」についての項で””既存の現象図式は実際には「固定」の様相を説明していることから...””と述べたとおり、図式全体はこれとは別物である。
この「固定の様相」というのもまだ一切触れられていない用語だろう。これは『用語(第二部)』で触れる予定の「現象過程」と呼んでいるものの一部であり、おそらくはこれが「図式全体」として機能するはずのものである。
というわけで、まったく尚早なのだが現象過程の全体像をここで説明しておこう。

(作動) → 「作用」 → (固定) → 「個体」 → (指示) → 「存在者」 → (定義) → 「論理」

()で括った言葉は「現象」を表し、「」で括った言葉は「存在」を表していると考える。
このうち作動/作用/存在者/定義については説明済みだ。それ以外の語の大まかな意味合いは次のとおり。(あくまでも厳密性を欠いた説明であることに注意)

・固定

二重性の頽落によって逆向きの作用同士から(逆向きの作用のペアとして言明することから)言明そのものへの対応を与える現象。
既出の語で言えば「理解」に最も近いと言える。

ここでの「逆向きの作用のペア」とは『現象図式』における「解釈的作用・思弁的作用のペア」を差し当たり意図している。
これについて今のところ疑問が残っているのは以下の点だろう。

””何故ある作用について常にペアとなる作用が普遍的に与えられ得ると言えるのか?””
少なくとも現象図式上ではペアとなる作用が常にあり得るという意味で「普遍性」という語を用いているのであって、そのような作用が既に起きているという意味ではない点に注意。
もしかしたら以下でも示しているように、これは常にあり得ると言うことに対する否定を意図した限定された普遍性であって、真の普遍性とは言えていないのかもしれない。

この問題はそもそも何故「固定」の現象(あるいは固定の様相)が「作用の普遍性」を説明しているのか、というのが注目すべき点だと言える。これは一見して論点先取のようにも思えるが、以下のように考えれば不整合にはならないだろうし、実際そう考えるのが自然なはずだ。

””実はここで説明されている「作用の普遍性」は固定された限りにおける作用の(固定の様相についての)普遍性のことだけを言っているのではないか?””

そう考えるなら「作用」は「現象図式」とは全く別のところで普遍性を獲得しているに過ぎないのであって、そこにある種の日常性が加わった結果として生じる(俗的な意味での)普遍性がここで説明されているところの「普遍性」という語の意義だと言わねばならないということになる。
「現象図式」が「固定の様相」によって境界付けられるなら、「作用」の普遍性はそれ以前に既に与えられているという意味でそれとは全く関係ないと言えるからだ。

言い換えれば、ここでの普遍性とは現象図式に押し込められた作用についての普遍性を考えている、ということだ。
ここで用いている「現象図式」の語は現象過程としてではなく、固定の様相としての意義を指している点に注意。
当然ながらそうではない作用(作動される作用)も考えられ得るが、固定の様相を説明する限りでは全く主題化されていない(先んじて与えられているという図式のもとでしか言明されない)ところの現象なのである。

一方で、既出の語で言えば「理解」に最も近いという説明も的を射てはいないだろう。正しくは理解に近いのではなく「理解」の所与性がここで説明されているのだと考えるべきだ。
そう考えると「理解」の意義は「固定」あるいは「指示」には還元され得るが、「定義」には間違いなく還元され得ないことになる。
これは確かに自然なことで、それというのも「定義」とはそこで説明されているところのもの当の説明それ自体が同一であるような境界付けを持つ語であるが、この場合は当の説明の所与性は(当の定義の現象が実際にどのように与えられているかは定義そのものには全く関係が無いのだから)自明だと考えられているからだ。
より正確には、これら2つの意義が混同された結果として所与性がもはや問題とされないという図式がここで初めて成立するのである。
「これら2つの意義」は直前にある「そこで説明されているところのもの」「当の説明それ自体」のことを言っている。

ここで少し本筋を外れた注釈を加えたい。
この「~という図式がここで初めて成立する」という表現は今後の考察でも極めて重要な意義を持っているはずだ。
というのも、そういう図式が説明している事態(ここでは所与性が問題とされない事態)は「それ以前に与えられた現象」からは一切説明できないような類の意義なのであって、誤解を恐れずに言えばそういう意味で「創発的」な事態をようやく(ここでは定義が与えられることによって)説明し得るようになったというわけである。
以下の考察でも現象過程におけるそのような意義について「創発性」「創発的な事態」という表現を用いるが、最終的にはもっと適切な語に差し替えるかもしれない。

話を元に戻す。
さらに言えば、実際にこの2つのどちらが現象的に先行しているかは場合によって異なってくるだろう。
日常的な事態としてタルパ(より一般に何らかの対象物)が既に与えられている点に注目する場合もあるし、そのような対象物が差し当たり与えられていなくても、それを説明することだけは常に可能だと考えれば後者が先に与えられることも、やはり考えられる。

この事実は「整数を定義する」というような場合を考えれば一層明らかとなる。
個々の数字を無視してその定義だけを説明することは可能であり、逆に(差し当たり整数でないかもしれない数について)個々の数を説明することもまた可能だ。

以上の考察によれば、「定義」に「理解」の意義が含まれない理由は明らかだろう。

また「定義」の所与性(先の「これら2つの意義が混同された結果として~」で混同される以前の本来的な所与性のことを言っている点に注意)はそれが「個体」「存在者」の様相としても、理解されたところのものとして与えられるはずだと言える。
「固定」と「指示」によって与えられるとされるものは確かに「個体」「存在者」に見事に対応しているし、「ある現象そのもの」ではなく「ある現象の所与性」を考えているのだから、理解されたところのものとしてに限っているという点でも正しい。



ここまで。次は「個体」「指示」「論理」の説明を展開したい。進捗はおよそ80%ほど。

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