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明確になった問題は共有される。共有された問題は議論される。議論された問題は無害化される。
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タルパの存在論を確立するには、そのカテゴリーの成立要件を明らかにせねばならない。
タルパの創造契機については既にある程度分析されたが、存在理念と信念については何を問題とすれば良いかも分かっていないのが現状である。
したがって、そのような有意義な問題意識を取り出すには素朴な問いを開拓しておくのが重要であろう。
まずは存在理念の中でも特に身近な「時間性」について分析を深めることにする。

この一連の研究には時間がかかりそうなので、問いの列挙の部分まで先に公開しておく。
もしかすると今後は問いの分析までで一区切りとして、先に存在理念一般を考察した上で時間性の研究に再び着手するようなことになるかもしれない。いずれにせよ、次の記事は今年中に公開できれば早い方だろう。


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先の記事ではタルパ現象論に基づいたタルパの区別について論じていたが、それは主にタルパの構造に着目したものであった。しかし既に準備的な考察として触れられていたように、タルパの存在はその構造を見るだけで全てを説明できるものではない。時間性や人間的・タルパ的存在理念などを含む存在理念は明らかに構造とは異なる要素であるし、信念についてはほとんど踏み入った考察がなされていない。
この記事の目的は、それらの要素を単純な図式として整理し、今後のタルパ研究の方向性を見定める基準を作り上げることにある。
先に『タルパ創造現象の区別についての諸考察』の§3でタルパ創造現象の全体図を素描しておいたが、そこには一つの注目すべき超越的な仮定が存する。即ち、そこで解釈される当のタルパが差し当たり確実的に把握されていると仮定されているのである。
これではタルパを解釈するのに確実的に把握されている存在者をあらかじめ仮定するという一種の循環論法に当たるのではないかという疑問が不可避だろうが、しかし実際にはこの循環を解消する解釈が部分的には与えられていたのであり、この記事は以上の疑問を解決する解釈を明瞭に示す。
また信念としての理念がタルパについての理念たり得る根拠についてもここで詳しく述べる。


第一部で把握の全体性を解明し、第二部ではタルパ消滅現象の解釈によってタルパの全体性の境界付けへの方途を示した。先の『タルパ創造現象の区別についての諸考察』では実際にタルパ創造現象に境界付けを施すことで、タルパの全体性をわずかながらも暗示し得たと思う。重要なのはタルパ創造現象の境界付けにも再把握というタルパ消滅現象の境界付けが含まれていたということであり、これはまさに創造と消滅は同一の境界内における――即ち同一の可能性を共有する――現象であることを証明しているのである。

第三部ではいよいよタルパの全体性を解明・定立し、さらには全体性を越え出た理念の領域を研究することで理論と実践の関係も明らかとなる。
そして以下の帰結をもってタルパ現象論によるタルパの基礎的な考察の終了を宣言するのである。

真に注目されるべきことには、ここにタルパに関する現象の全ての可能性が内包されているということである。


タルパ現象論による「タルパの全体性」の解明(第二部)』に続いてタルパの境界付けを行う第三部を投稿する予定であったが、先にタルパ創造現象の区別に関する考察を済ませておきたい。
例えば創造型や邂逅型についてはどのような契機によって把握されるかが明らかとなったが、しかしどのような境界において把握されるかは依然明らかでない。
ここではそのような素朴な諸観念をタルパ現象論によって解明することで、それがいかに混乱した観念であるかを明らかにし、またどのような注釈をつければその混乱を除去できるかを明らかにするのが目的である。

ちなみに消滅現象を主題としないのは、『タルパ現象論による「タルパの全体性」の解明(第二部)』での事情と同様である。ただし今後投稿される第三部においてタルパの境界付けが明らかになった後では(また第二部においても既に注意を促したように)、創造現象に対応する形で一挙に解明されるだろう。
第一部の§1では把握のもう一つの様態である喚起を現象論的に解明し、把握の全体性が完成した。
§2以降では把握の全体性を基にしてタルパ創造現象・タルパ成長現象(オート化現象)を、一部は不完全であったが立て続けに解明した。
第一部の成果はある意味で急進的な成果だったと言えるが、タルパ消滅現象では話はそう簡単ではない。

先の考察が上手くいったのは、既にそれぞれの現象が素朴な(日常的な)領域において十分な問いを受けていたからに他ならない。
しかしタルパ消滅現象はこれまでタブー視すらされていた感があり、その現象論的な解明には困難がつきまとうことが予想される。

したがって、まずはタルパ消滅現象の日常性における問いと批判を展開し、その後でタルパ消滅現象の境界付けに進むことにする。
タルパ消滅現象に関して実際にwikiに寄せられている質問を見れば、以下の4つの点が「消滅」という言葉の使われ方として際立っていることが分かるだろう。

・そもそもタルパは消滅し得るのか?
・未オートに近いタルパほど消滅しやすいのか?
・タルパに関心が向いている限りは消滅しないのではないか?
・一度消えた後に再び元に戻り得るのか?

当然この4つの問いを選んだのは、それが十分に普遍的であるように思われるからだ。個別の例はいくらでも挙げられるが、これらは凡そあらゆるタルパーにとっての共通の問いであると考えられる。
これらの問いの意義をそれぞれ説明して、その形式を取り出してみよう。

以下の考察は次に公開する予定である記事の一部を抜粋したものだ。
日常性における問いへの批判と言っておきながらタルパ現象論的な表現を示唆した個所はあるが、それは元記事の流れとしてどうしても必要な部分であって、なによりも修正する手間が惜しいので勘弁してほしい。
(先鋭的な研究者でない)ふつうの研究者・考察者向きとしては十分面白い内容になっているはずだ。
思念体の概念がまったく独立して成り立つことはないという主張と、その根拠。
前回までの記事でタルパ機械論およびタルパ現象論を応用する準備がほぼ整った。
この記事の第一部では把握や態度についての考察をもう少し深めた後、タルパの創造とオート化について考察していく。
タルパの消滅やタルパそのものの全体的な考察、いくつかの派生的な概念への応用は第二部で取り上げる予定。
しばらく前に「ナフラ」なる概念が現れたが、同じような意味で「思念体」という概念の使用も観測されるようになった。
どちらもその内包として「いかなる区分も持たない」という規定を有しているようだが、それではこの2つの概念の外延は完全に一致するように思えるし、実際これは簡単に証明できるのではないか?

もしこの2つの外延が異なるとすれば、「ナフラであって思念体ではない」または「思念体であってナフラではない」ような対象が存在し得る。
前者の場合はナフラの概念を「思念体である部分とそうでない部分」に区分できるし、後者の場合も思念体の概念を「ナフラである部分とそうでない部分」に区分できる。
しかしこれは思念体とナフラのどちらの内包の規定とも矛盾する。故に思念体とナフラの外延は一致する。
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