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明確になった問題は共有される。共有された問題は議論される。議論された問題は無害化される。
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先に『タルパ創造現象の区別についての諸考察』の§3でタルパ創造現象の全体図を素描しておいたが、そこには一つの注目すべき超越的な仮定が存する。即ち、そこで解釈される当のタルパが差し当たり確実的に把握されていると仮定されているのである。
これではタルパを解釈するのに確実的に把握されている存在者をあらかじめ仮定するという一種の循環論法に当たるのではないかという疑問が不可避だろうが、しかし実際にはこの循環を解消する解釈が部分的には与えられていたのであり、この記事は以上の疑問を解決する解釈を明瞭に示す。
また信念としての理念がタルパについての理念たり得る根拠についてもここで詳しく述べる。


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第一部で把握の全体性を解明し、第二部ではタルパ消滅現象の解釈によってタルパの全体性の境界付けへの方途を示した。先の『タルパ創造現象の区別についての諸考察』では実際にタルパ創造現象に境界付けを施すことで、タルパの全体性をわずかながらも暗示し得たと思う。重要なのはタルパ創造現象の境界付けにも再把握というタルパ消滅現象の境界付けが含まれていたということであり、これはまさに創造と消滅は同一の境界内における――即ち同一の可能性を共有する――現象であることを証明しているのである。

第三部ではいよいよタルパの全体性を解明・定立し、さらには全体性を越え出た理念の領域を研究することで理論と実践の関係も明らかとなる。
そして以下の帰結をもってタルパ現象論によるタルパの基礎的な考察の終了を宣言するのである。

真に注目されるべきことには、ここにタルパに関する現象の全ての可能性が内包されているということである。


タルパ現象論による「タルパの全体性」の解明(第二部)』に続いてタルパの境界付けを行う第三部を投稿する予定であったが、先にタルパ創造現象の区別に関する考察を済ませておきたい。
例えば創造型や邂逅型についてはどのような契機によって把握されるかが明らかとなったが、しかしどのような境界において把握されるかは依然明らかでない。
ここではそのような素朴な諸観念をタルパ現象論によって解明することで、それがいかに混乱した観念であるかを明らかにし、またどのような注釈をつければその混乱を除去できるかを明らかにするのが目的である。

ちなみに消滅現象を主題としないのは、『タルパ現象論による「タルパの全体性」の解明(第二部)』での事情と同様である。ただし今後投稿される第三部においてタルパの境界付けが明らかになった後では(また第二部においても既に注意を促したように)、創造現象に対応する形で一挙に解明されるだろう。
第一部の§1では把握のもう一つの様態である喚起を現象論的に解明し、把握の全体性が完成した。
§2以降では把握の全体性を基にしてタルパ創造現象・タルパ成長現象(オート化現象)を、一部は不完全であったが立て続けに解明した。
第一部の成果はある意味で急進的な成果だったと言えるが、タルパ消滅現象では話はそう簡単ではない。

先の考察が上手くいったのは、既にそれぞれの現象が素朴な(日常的な)領域において十分な問いを受けていたからに他ならない。
しかしタルパ消滅現象はこれまでタブー視すらされていた感があり、その現象論的な解明には困難がつきまとうことが予想される。

したがって、まずはタルパ消滅現象の日常性における問いと批判を展開し、その後でタルパ消滅現象の境界付けに進むことにする。
タルパ消滅現象に関して実際にwikiに寄せられている質問を見れば、以下の4つの点が「消滅」という言葉の使われ方として際立っていることが分かるだろう。

・そもそもタルパは消滅し得るのか?
・未オートに近いタルパほど消滅しやすいのか?
・タルパに関心が向いている限りは消滅しないのではないか?
・一度消えた後に再び元に戻り得るのか?

当然この4つの問いを選んだのは、それが十分に普遍的であるように思われるからだ。個別の例はいくらでも挙げられるが、これらは凡そあらゆるタルパーにとっての共通の問いであると考えられる。
これらの問いの意義をそれぞれ説明して、その形式を取り出してみよう。

以下の考察は次に公開する予定である記事の一部を抜粋したものだ。
日常性における問いへの批判と言っておきながらタルパ現象論的な表現を示唆した個所はあるが、それは元記事の流れとしてどうしても必要な部分であって、なによりも修正する手間が惜しいので勘弁してほしい。
(先鋭的な研究者でない)ふつうの研究者・考察者向きとしては十分面白い内容になっているはずだ。
思念体の概念がまったく独立して成り立つことはないという主張と、その根拠。
前回までの記事でタルパ機械論およびタルパ現象論を応用する準備がほぼ整った。
この記事の第一部では把握や態度についての考察をもう少し深めた後、タルパの創造とオート化について考察していく。
タルパの消滅やタルパそのものの全体的な考察、いくつかの派生的な概念への応用は第二部で取り上げる予定。
しばらく前に「ナフラ」なる概念が現れたが、同じような意味で「思念体」という概念の使用も観測されるようになった。
どちらもその内包として「いかなる区分も持たない」という規定を有しているようだが、それではこの2つの概念の外延は完全に一致するように思えるし、実際これは簡単に証明できるのではないか?

もしこの2つの外延が異なるとすれば、「ナフラであって思念体ではない」または「思念体であってナフラではない」ような対象が存在し得る。
前者の場合はナフラの概念を「思念体である部分とそうでない部分」に区分できるし、後者の場合も思念体の概念を「ナフラである部分とそうでない部分」に区分できる。
しかしこれは思念体とナフラのどちらの内包の規定とも矛盾する。故に思念体とナフラの外延は一致する。
タルパへの応用研究に向けた準備は完全に整った。
もはやタルパに関するいかなる問題も、タルパ現象論を使って記述されるに違いない。

この記事では「タルパとタルパーの関係」がどういうものか、主に実体を中心に見ていく。
まずこの問題を解決することで、その関係性に大きな2つの可能性が生じる。
おそらくは、これまで論じられたことのない領域に踏み入ることになるだろう。

前回の記事で告知したとおり、以降の考察は現象学的な方法論を踏襲する。
出来ればその基本的な理解は前提としたいところだが、重要な部分は説明していく。
これまでの一連の理論は数式化指向の流れを汲んで「タルパ機械論」と名乗ってきたわけだが、もはやこの名前は妥当ではなくなった。
というのも、この記事では哲学の一分野である現象学の方法論に基づいた考察に挑戦し、ここに書かれた通りの成果を上げた。もはやこの理論は、数式化を必要とはしていないのだ。
特にこの記事以降は応用研究に入っていくので、基本的な方針を改めたこの理論を「タルパ現象論」と称して名実一体を図る。

さて、実体の個別的な側面については<態度>や<目的>といった形で以前から考察を重ねてきた。
これは解釈の難しい実体を分かりやすく説明しようという試みから来ているのだが、一度はその全体性に触れておかねばならない。
以下の考察によって、理論において実体の果たす役割が余すところなく明らかになるはずだ。

実体の範疇の概念に<>を付けるのがすごく面倒なので、これからは付けないと曖昧になってしまう場合にだけ付けようと思う。
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