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明確になった問題は共有される。共有された問題は議論される。議論された問題は無害化される。
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先にタルパを認識できていなければオート化していないとも言える。
が、先にオート化していなければタルパを認識できないとも言える。
それはタルパを「創られたもの」と定義することで現れる。
タルパのオート化の過程には「創造されていなかったもの」から「創造されたもの」へ、「創造」という不連続点が存在することになる。タルパが無から創られると言われる理由だろう。
しかし、これは大変な問題である。
タルパは居ないしオート化もしていない状態で、タルパを認識するかオート化するかしなければならないのだ。

この問題を根本的に解決してしまう手段として、タルパを「維持されているもの」と定義することである。
そうするならば「創造」という不連続点だけを、ピンポイントでタルパの定義の上から消すことが出来る。

実際ペンライトはタルパをそのように定義しているし、それで不便はない。会話オート化や視覚化だって問題なく定義できる。
ならばこの定義によって「創造」を再定義し、それを利用してこの問題を解決しようとするのは自然な流れだろう。



そしてペンライトはこう考えた。
人間は常にタルパの「種」とでも呼ぶべきものを創りだしていて、その中で長期間維持され成長したものがタルパである。これがタルパの「創造」の正体だろう。

ぶっ飛んだ結論だと思うかもしれないが、そう結論づけねばならない理由なら簡単に説明できる。
オート化は感覚を通しての干渉によって進行する。ならば同じく感覚を通して干渉してくるあらゆる存在に対してオート化が適用されるべきだ。オート化が適用できるならば、それをタルパと呼んでも理論上は差し支えないことになる。

つまりタルパに関して「人間は無からタルパを創る何かしらの能力を持っている」と解釈するより、「人間は無からオート化を進行させる何かしらの能力を持っている」と解釈するほうがより自然なのである。

タルパの創造とオート化では、まずオート化の方が先に起こっているのだ。
冒頭の表現とは違っているが、タルパであると認識するためにはまず創造されている必要があると考えると、やはりオート化が先だと言えるだろう。



しかし干渉の度にオート化が適用されてそれに対応するタルパの「種」ができると考えると、少なくともタルパの実体(※)の形成メカニズムを神経科学的な手法のみに頼りきる姿勢は否定せざるを得ない。
単なる化学反応で説明するために仮に実体が定量的に定義可能であるとすると、それこそ脳の処理能力を無限大であるとしなければ説明できない。

全く興味はないが、いわゆる脳内現象説を取る場合のタルパの定義にも少しは触れてみようかな?




タルパ治療学参照。
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