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明確になった問題は共有される。共有された問題は議論される。議論された問題は無害化される。
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大雑把に切り落とした証明部分の解説がメインです
このシリーズは考察記事というよりエンターテイメント性が高いので、そういう感覚で見てってください
・解釈の保有

今回の記事で隠された大きなテーマ、それが解釈の保有。これに気づかないとめちゃくちゃな事を言っているように見えるかもしれない。

例えばしりとりのくだり、違う文脈での「自分」という言葉をどう定義させたか思い出してほしい。
「確実に同じ人間を指していなければならない」といったと思う。これが解釈の保有の代表例。
単に「自分」だけでは僕の思う通りに誘導できない可能性があったので、この条件を付加することによってその可能性を排除した。
つまり、「自分」は自分でなくても問題ない。

他のまとめ記事でも解釈の保有を念頭に置いた表現はあるので、注意しておこう。


・補題は正しいか

これは実験として実行に移すのが非常に簡単なので、一度やってもらうのが早い。しりとり以外でも当然成立する。
そしてここでも、上で言った解釈の保有は生かされている。

しりとりをしたのが主観的な対象となのかどうなのかを書いておけば区別できると思った人がいるのではないだろうか?

残念だが、それは出来ない。
「自分」ではない他者は、「自分」にとって主観的な対象からの一切の干渉を受けることは出来ない。その記述によって主観的な対象とのしりとりであることを確定する手段は無いままだ。

では「自分」の記述に間違いのないことを前提とするのはどうなのか?
これは出来ないというより意味が無い。本文中では干渉の記録によって判断できるかを問うているのであって、仮にこの前提を設けても干渉の記録自体に本質的な違いが出てくるわけではない。

ならいっそのこと主観の定義を見直すのはどうか?「特定一個人」の「個人」が実は一人だけではないのではないだろうか?
上と同じく、意味なし。これ以降は自分で考えてください。


・補題は必要だったのか

質問は「『自分』にとって主観的な存在がある。この存在を他者が知る方法はあるか。」だった。
あると答えた場合に、補題がなければちょっと面倒なことになる。
補題の内容が証明されていないことを指摘した後、上で書いた「個人」の解釈によっては矛盾を解決する方法があったわけだ。

ちなみに質問ではその存在の主観性客観性を判別しろとまでは言っていないので、補題と結論(存在自体は知ることが出来る)が矛盾することはないのです。



今までの流れをすごく簡単に言うと、

「タルパが主観的だって言うなら、会話文を掲載すれば他人に存在を知らせることが出来るのと矛盾してね?」

ってことです。ものすごく簡単にですが。
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