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読書百遍 其義自見
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少し前に五感化について考察したが、物理的な要素を考慮するなら是非とも導入したい概念が二三ある。
それは副体に関する最も基本的な概念である軸の理解にも有用であるから、最初に一般的な構成要素としての物理的な要素を考察する。
その後で出来る限り応用研究を進めてみよう。



§1 軸の個別具体的意義

例えば自分のタルパなどを例にとって機械論的な考察を始めようとすると、すぐさま壁に突き当たる。
副体はさておき、軸をどのように定めればよいのかが全く明らかでないことに気づくだろう。
軸は次元に対応するという話は既に何度か書かれたが、前機械論的な対象のふるまいを見てどのように次元を知ることが出来るだろうか?

交差する直線によって次元を表すにも先に直線の交差を定義せねばならないが、これについては自明だと言いたくなるだろう。
これを自明だと表現することが、まさに態度の前機械論的な側面の働きなのだ。
しかしよく考えると、このイメージは軸が具体的な情報を伴う場合にのみ可能な方法だ。情報は軸の個別的な概念であるが、必ず持たなければならないわけでもない。
一般的な領域の考察では、情報を無視して軸のみによって考察するということも十分あり得る。

ところで『「連関実在論」改め、「タルパ機械論」の再定義について(第一部)』で副体が無限の軸を持つことはあり得ないと定めた。これは日常的な対象について考察する限りは、態度によって自明だと考えたい。ここでの態度とは何のことだろうか?
言うまでもなく、これは「あらゆる対象の存在やその様相を知り得るような対象は存在し得ない」と考える態度のことだ。所謂ラプラスの悪魔の否定である。
これは結果的に現代の物理学の態度と矛盾しない(その事情は異なるにせよ)

そのような態度の上で、無限の軸を必要としている副体も、実は有限の軸によって説明されることがあるということを説明したい。
ここからは機械論の領域に入るから、形式的な表現を使って確かにこの事実が言えることを示す必要がある。
これを達成するために、もう一つ別の概念を援用したい。

軸は副体の他の副体と関係を持つという性質を副体自身に説明させるための構造である。
この性質は、その軸に属する情報がいくら変わっても変化したり失われることは無い。
ということは、副体の個別具体的な様相は、単一の軸における情報の変化について保存されると言える。
逆に言えば、前機械論的な対象物に対する操作についてある種の意味での意義が変化することが無いと言える場合、そのような操作にそのある種の意味での対称性を見出すことが出来る。
ところで、このようにして保存される性質は定量的であっても定性的であっても良い。元々軸はそのような意義を持っていた。

それならば...次元の代わりに、対称性によって軸を定めることも可能ではないか?
同じ次元を持つ副体は、その次元が定める空間上で互いに干渉可能なのであった。
同様に、同じ対称性を持つ副体も、その対称性が定める空間上で互いに干渉可能だと考えるのだ。

対称性は空間を定めるだろうか?
そもそも空間とは、軸によって決められた意義を失わない範囲で副体が自由に振る舞うことを許された領域であるから、対称性を見出した「操作」についても自動的に同じことが言えている。
ただし単一の対称性が1つの次元を定めるとは限らないことには注意が必要だ。複数の次元上に単一の対称性が見出される場合もあり得る。

従って、対称性を軸の定義に採用しても問題ない。

対称性を次元の代わりに採用することには明らかなメリットがある。
ある前機械論的な対象物に対応する次元は、いくらでも見出すことが出来るのだ。最初に交差する直線は次元を表すとしたが、斜交座標は角度の違いによって無数に存在する。
だが、ある操作についての対称性という形でなら、そのような違いを吸収してくれる。言わば次元に依存しない構造を見出すことが出来る。
ついでに、「操作」は能動的態度によって支持されることも大きなメリットだ。一度決定した軸は後の考察で変更され得るが、これを対称性によって定義しておけば、その変更が可能であることが保証される。

何より有用なのは、これまで抽象的な軸を軸の集合系として表していたものが、単一の軸として表せるようになるということである。
難しい話ではない。次元の組み合わせが単一の空間を示すことについては必ずしもそうではない(だからこそ集合系という形式的な表現をせねばならなかった)が、対称性の組み合わせは対称性であるから明らかに単一の空間だと言えるのである。

最後に、無限の軸を有限の軸に置き換えられる可能性について触れておきたい。
軸を対称性によって定めるとすると、無限の軸を持つ場合というのは無限の対称性を持つ場合だと解釈される。
すると、このような無限の対称性を定める理由には以下の3つがあり得る。

・実際に無限の対称性を持っていると仮定せねばならない場合
・対称性のあらゆる可能な組み合わせを異なる対称性として扱っている場合
・同一の操作の異なる解釈を異なる操作として解釈している場合

最初の場合は明らかに有限の軸に置き換えることは不可能だ。この問題の原因は機械論的な構造とは無関係であり、そのように思考せねばならない態度に帰される。
例えば「タルパは人それぞれである」という言明を無差別に適用するならば、タルパという概念そのものは無限の軸を持つと仮定せねばならない。タルパ治療学は実際にそのような解釈をしていたのだった。

一方で、他の2つは適当な思考によって有限の軸に帰結することが出来る。
組み合わせがその原因であるならば、それは根本的ないくつかの要素に解決できることになる。このケースは個別具体的な要素から一般的な概念を導出する際に現れることがある。
異なる操作の解釈が原因であるならば、それは固定化された態度が原因である。いわゆる固定観念が無限の軸を必要とするような思考に導いているのである。

しかしながら、態度によっては実際に無限の軸が必要となることがあるのも事実である。
だからこそタルパ機械論は、そのような態度を最初から認めないことでラプラスの悪魔の問題を除外しているのだ。

無限の対称性を定める3番目の理由では、ある態度で異なる操作だと解釈されていたものが別の態度では単一の操作だと解釈されることになる。
もし前者の態度が後者の態度にある意味で含まれるとしたら、後者での単一の操作は前機械論的な意味では連続性を持つと言える。
そこで、連続的な操作によって見出される単一の対称性は連続的対称性を見出すと解釈することにする。
連続的対称性はその構造に連続的なパラメータを持っていて、この軸の意義はパラメータの状態によらずに保存されると考えるのだ。
同様にして、パラメータが連続的ではない場合には離散的対称性を持つと言える。

対称性の連続・離散はいかにも軸の連続性と関連しているように見える。
実際その通りで、このことは§1.1ですぐに考察する。

軸の表現が明確になったのだから、その個別的な概念である情報や連続性もその恩恵を受けられる。
そこで、対称性によって定められる軸がその情報や連続性に対して与える影響について、少し考察しておきたい。



§1.1 対称性が定める情報・連続性

・連続性

先に対称性には連続的なものと離散的なものがあると書いておいた。これは連続性に直結している。連続的対称性から軸の連続性を導けるだろうか?
これは明らかだと言っていい。対称性がどのような形式で表されるにせよ、内部に連続的なパラメータを含んでいるのだから、ある情報に対称な情報が無数に見いだされることによって一般的な連続性の定義を満たす。
例えば回転の対称性なら実数値の角度をパラメータに持つだろうが、実数の稠密性によってこのことが示される。
ちなみに、「実数の連続性」の「連続性」と機械論が扱う連続性は別の概念である。機械論が扱う連続性は実数で言えばこの稠密性に当たる。

ここで、軸の連続性を定めるのに具体的な情報の制限がないことには注目すべきだ。
具体的な情報が明らかでなくても、それに対する操作が明らかであってそれが連続的対称性を持つなら、軸は連続性を持つと言える。
連続性という概念は、確かに情報とは独立に定め得るのである。

・情報

では、対称性が定める情報とはどのようなものか?
言い換えれば、情報を見出すような対称性はどのように表現されればいいだろうか?

離散的対称性であれば対称性をもつような情報(あるいはその生成元)の集合系であるという表現が当てはまる。
この場合は情報とその操作が完全に一体となって表されることになる。

しかし連続的対称性ではそう上手くいかない。これを情報によって定めることも可能ではあるが、それは最初から情報の具体的な形式が明らかである場合に限られる。
ここから情報を見出すには、少しばかり遠回りする必要がある。

連続性の個別的な定義の一つに位相があったのを思い出してほしい。もちろん、これも情報とは独立に定め得る。そして位相は創発を通して情報と関連している。
対称性が見出されれば密着位相に関連付けることは出来るから、それに属する情報という考え方をすればいい。
少し複雑な例を挙げれば、ある対象の部分ごとに異なる対称性が見出されるようなら、より具体的な位相を考えることが出来る。

これはあくまでも対象について全く知り得ない条件下における形式的な手法であって、態度によって自明であると言えるような情報も当然ながらあり得るだろう。



§2 感覚の保存について

以降では個々の感覚について考察していくのだが、その前に感覚一般に自明に言えることについては明らかにしておきたい。

真っ先に明らかにせねばならないのは、人間の感覚は連続性を持っているということである。
これは機械論では態度によって自明とされている。その理由は様々あるが、要するに感覚は何かしらの意味を指し示さねばならないという役割があるので、『不連続性と確率性の密接な関連について』で挙げたような連続性の定義を満たす形で記述されるのである。

ところで軸の定義が次元から対称性に変わったことで個別的な概念の定義を見直す必要があるのではないかと思うかもしれないが、その必要はない。
個別的な概念は、一般的な概念がそれ自身によって表現している意義によって定められているのであって、概念そのものに依存しているわけではないからだ。
軸の定義が変わっても、軸としての意義を同じように表現できるならば、個別的な概念は変わらず成り立っていると考えて良い。そして実際に、軸の空間としての意義は対称性によって表現することが出来るのであった。
この疑問に関する詳しい考察は§2.1に書いておく。

すると、感覚とは対称性、特に連続的対称性に対して個別的な意義を与えるのだが、その意義とは何だろうか?
これを考えるのに『タルパ機械論による五感化の具体的な考察』での先行研究が活きてくる。その輪郭もより明確になってくるだろう。

そこでは副体が物理系を定め、物理系のエネルギーを考察することで感覚の個別的な定義を得ていた。
この概念の関係を順を追って明らかにしたい。必要ならば別の概念に置き換えてみよう。

・対称性→保存則→物理系

まず最初に、副体を物理系と見なすという仮定が提示された。軸が次元だとすると、必ずしもこの仮定は正しいわけではなかった。
だが軸を対称性と考えることで、連続的対称性を持つような軸を持つ副体は間違いなく物理系を定めると言えるようになる。どういう意味か?

「系」という表現には、考察の領域をその範囲に限定したいという思惑がある。当然その範囲は何らかの基準によって定められねばならず、それが能動的に論じられるような概念であれば都合が良い。
対称性はまさにこの条件を達成している。

ここから物理系という概念をより明確に輪郭づけるために保存則という概念を導出するつもりだ。
物理学的には、連続的対称性には対応する保存則が存在すると言えている。ただ、物理的な考察無しにこの事実を導くことは出来るだろうか?
いや、より正しい言い方をすれば、「物理的意味を考慮しない保存則とは何を意味するのか?」と言いたいのだ。
これはやがて「物理的意味を考慮しない対称性とは何を意味するのか?」という問いに戻り、「物理的意味を考慮しない対称性とは如何なる前機械論的な対象物から導かれるのか?」という根源的な問いに至る。

そしてこの問いは既に解決されている。最初から対称性とは前機械論的な対象物に対する操作についてその意義が変化しないことを示していた。このような操作は態度によってなされるが、物理的な概念を前提とはしていない。
そもそも物理的という概念自体が、機械論にとって何ら本質的な意義を持っていない。あくまでも、ある概念に個別具体的な定義を与えたものが物理的な概念だという解釈だ。
だから、この問いは最初から解決していた。

対称性とは、前機械論的な操作によって意義が変化しないという性質が機械論的に理解された概念であり、保存則とはこのような対称性によって軸が表す意義が変化しないという性質を表す機械論的な概念であると結論できる。
物理系という言葉における「系」とは、このような保存則が成り立つような範囲という意味であり、それは対称性によって定められる副体に対応している。

このように、連続的対称性だけでそれなりの意義を持つ空間を論じることも出来るのだが、加えて複雑性の条件も課しておきたい。
ここでの物理系はあくまでも機械論的な概念であるが、しかし通常の用法での「物理系」とも一致させておきたいのだ。
複雑性を導入することによって初めて、形式的にでも物理現象を機械論上で理解することが可能となる。

以上で「副体は物理系と見なされる」という仮定が成り立つ条件が明らかとなった。

・物理系→感覚系→感覚

では感覚とはどのように理解されるだろうか?
細かい表現を省略せずに言えば、「感覚という概念は如何なる前機械論的な概念から理解されるだろうか?」という意味だ。
感覚というからには情報を受け取るだけではなく、その意味が情報そのものに内在していて、かつその複雑さも同様に内在しているような情報が欲しいわけである。
意味が内在することは連続性として理解され、複雑さが内在することは複雑性によって理解されている。
従って感覚とは、連続的対称性と複雑性とを持っていて(つまり物理系に対応していて)、かつ情報を受け取ることが前提である(何かしらの干渉が存在する)と定められる。

複雑性とは創発によって関連する軸についての性質であるが、これを感覚の定義として受け入れるならば、感覚は複数の副体にまたがった概念であるという解釈も成り立ちそうだ。
これを感覚系と呼ぶことにする。そして感覚とは感覚系に属するような副体だと再定義するのだ。

明らかに感覚系は物理系の個別的な概念であるが、物理系に対してどのような意義を与えているだろうか?
先ほど感覚は情報を受け取るという話をしたから、情報について何かしらの意義を与えるのだろう。
物理系は対称性が定める保存則によって見出されるから、この保存則という概念を情報という概念に適用すれば良い。
つまり感覚系は物理系と情報の複合概念だと考えるのだ。
その情報は連続性と複雑性を内在しているから、これらについて保存則が成り立つ場合にどのようなことが言えるかを明らかにしたい。

情報の連続性については、感覚系が物理系の個別的な概念であることによって既に前提されているから、詳しく考察する必要は無いだろう。
位相が表す意味とは前機械論的な感覚に求められていた意義のことであるから、要するにこれが対称性によって保存される当の具体的な性質なのである。
つまり、情報が保存するのではなく、その情報に定められる位相が保存しているのだ。

これによって複雑性の考察にも踏み入れることが出来るが、位相の情報化について考えるとすぐに次の疑問が湧いてくる。
一体、保存則というのはどんな複雑性の情報について言っているのだろうか?
一応言っておくが、保存則や対称性は絶対的に安定しているわけではない。変化するかもしれないということだ。

実際の保存則について考えてみると、保存則は常に成り立つ場合近似である場合の2種類がある。
また、常に成り立つ場合でも空気抵抗や摩擦などのノイズを考慮することで近似的な保存則と見なされる場合もある。
例えば力学的エネルギー保存則が条件付きで常に成り立つ例である。

前の記事では保存則の最も基本的な場合であるエネルギー保存則について考察していた。こうすれば近似ではなく常に成り立つからであるが、軸そのものを対称性として定めたからには近似的な保存則の存在を認めないわけにはいかない。
そこで、感覚系の一部についてのみ成り立つ保存則は、近似的であると考えると上手くいく。もちろん全部について成り立てば常に保存すると考える。

ここで位相の集合系を取ってくれば、これは順序を成しているが、この一部について成り立つとはどういう状態を指すのだろうか?
この集合系が位相という意味に従って順序立っているからには、何か法則があるはずだ。

ある情報について保存則が成り立つとする。それはつまり位相が保存しているということだ。その位相が情報化した軸では、情報が保存すると言えるだろう。
それでは、その軸について更に位相が定まっている場合、それは保存するだろうか?
これは当然保存する。情報が変化しなければ位相が変化することはないからだ。

つまり近似的に保存則が成り立つ場合とは、ある程度複雑な領域ではそれ以上の複雑性について成り立っているが、より単純な領域ではそうではない場合だと言える。
例えば二物体の衝突について、運動量の保存は反発係数が1である場合には常に成り立つが、そうでない場合には近似となる。
この条件付きで成り立つという部分が、ある程度複雑な領域のみ考慮するという意義を表しているのだ。
摩擦などを考慮する方が複雑ではないか?と思うなら複雑性の定義を見直すこと。この意味で、機械論での複雑性は日常的な用法とは一致していない。

この考察によって、感覚系が物理系に対して与える意義が明らかとなった。
ところで物理系自体も同じ対称性を持つような副体が複数見出されるだろうから、これを副体の集合として表すことが出来れば都合がいい。
これを物理系として再定義しておく。即ち連続性が成り立ち、複雑性による関係を持っているような副体の集合系を物理系だと解釈する。
そうすると、より一層の確信をもって感覚系は物理系の個別的な概念だと言える。

これで対称性から感覚に至るまでの概念の道すじが明らかになった。以降はこれらの概念を土台として、個々の感覚(感覚系)について考察していく。
先に注意しておきたいのは、タルパの感覚的理解を論じるためにはタルパーの感覚について理解せねばならないということだ。
そのために、先に人間の感覚について考察しているのだった。

今回も前の記事と同じく、個別的な考察の後に一般的な概念を形成していくことにする。



§2.1 概念の再定義が個別的な領域に与える影響について

感覚が前機械論的に連続的であると理解されるならば、逆に軸がこのような連続性を定めるような対称性を持っていると言えるだろうか?
いや、連続性そのものは軸に属する概念なのであるから、「連続的対称性を持つならば連続性を持つ」は常に成り立つのだ。
よってこの問いは正確には「感覚という概念を対称性によって記述するのに十分な根拠はあるか?」と立てられるべきである。

当然ながら、この根拠は対称性の構造に対して求められている。これはどういう意味か?

感覚として理解される対象物は何かしらの前機械論的な構造を持っている。正確には、「感覚」と名付けられた構造を持つ対象物が、感覚として理解されているのである。
その対象物は、理解された瞬間から軸の個別的な概念として迎えられるのだから、軸の機械論的な構造とも矛盾しないはずであるが、この一連の機構を実現するように対称性を構成することが出来るか?という意味だ。

「構造」という言葉には前機械論的な意味と機械論的な意味とがあるから、わざと注意を引くように問いの意味を説明したが、この問いを問うことにはほとんど意味がない。
それが不可能なら、可能になるように感覚の構造を見直せば良いからだ。
このような理論本位なやり方に反発を覚えるかもしれないが、何も感覚という概念を都合のいいように解釈しようという話ではない。この構成が不可能だというなら、元から感覚と呼ばれていた概念が適切な一般性によって理解されていなかったというだけの話だ。
それならば、感覚という概念を分解して、より適切な概念によって理解し直せばよい。簡単なことだ。

もちろんこのようなやり方は、何か特定の概念を基礎に作られた理論とは相容れないかもしれない。
例えば感覚を土台にタルパを考察するような理論では正しいとされることが、タルパ機械論ではそうではないかもしれない。
しかし、それはどちらかが間違っているのではなく、現実を理解する態度が異なるというだけの話である。



§2.2 感覚と受容、知覚・認知・認識の定義

以上では一般的に感覚という概念がどのような性質を持ち、他の概念とどのような関係にあるかを論じた。
それにしても、感覚については更に考察を加えるべき一般的な問題が残っている。

それは知覚・認知・認識についてだ。
感覚が存在するからには、それは何かしらの情報を得ているのであって、その過程は知覚と呼ばれている。さらにある対象について、知覚を元にして下される解釈は認知と呼ばれ、それのさらに抽象的なものが認識と呼ばれる。
この3つは心理学上の概念であるが、しかし感覚の存在とは切っても切れない関係にあると言えるだろう。
機械論的には、この3つの概念を明確に分けられる形で定義したい。

では、これらの概念は一体どのように定義されるだろうか?
この疑問を解決するために、まずは感覚そのものを定義しておこう。

・感覚(感覚系)の定義

その前に、ここでいくつかの有用な概念をまとめて定義しておく。
副体系とは、副体の任意の集合である。
これについては問題ないだろう。先の考察で既に物理系や感覚系という言葉を使用しているが、これらの副体レベルでの一般化が副体系だと解釈できる。
副体が複雑的である(複雑性を持つ)とは、その副体が複雑的である副体系の要素となっていることである。
これも問題ないだろう。
後は副体系が複雑的であることの定義を示せば、副体が複雑性を持つことの定義を副体系によって示し得たことになる。
副体系Aが複雑的である(複雑性を持つ)とは、Aが以下の条件を満たすことである。

1.
Aは項数nの集合列である。(A = {A1, A2, ..., An})
このときの添字集合をNとする。(N = {1, 2, ..., n})

2.
Aの個々の要素である副体について、以下の関係が成り立つ。
∀n∈N∀m∈N (suc(n) = m → Am ⊂ ∏An)
1は2を論じるための単なる土台として導入した。
2は今まで何度か挙げた複雑性の定義であるが、1の前提によって厳密に表現されている。

ここまでの定義によって、「ある副体が複雑的である」という命題が「ある副体は複雑的な副体系の要素である」に言い換えられるので、副体について直接的に複雑性を証明する必要が無くなった。

連続性については以前から考察している通りなので省略する。
ただ連続性は軸についての概念なので、そこには気を付ける必要がある。

さて、本来の目的は感覚の定義であった。
これも感覚系について定義しておき、その要素が感覚であると言えばいい。
感覚系とは物理系の個別的な概念であったから、段階的に示していく。
副体系Aが物理系であるとは、Aが複雑的であって、A1として表される副体の軸が連続性を持つことである。
ずいぶん端的に言ってしまったが、A1がどのような副体であるかは複雑性の定義によって明らかである。
つまり、物理系はその複雑性の基礎とする副体について連続性を持たねばならないのだ。
逆にそれ以外の副体について連続性の条件は無い。
後で考察しているように、創発した結果として連続性が失われるという状態はあり得る。

最後に、感覚系を定義する。
副体系Aが感覚系であるとは、Aが物理系であって、他のある副体Bと干渉fについて以下の条件を満たすことである。

∃f∃s∈B∃r∈A∈A( (s,r) ∈ f )
物理系が感覚系であるためには、必ず何かしらの副体からの干渉が存在している必要があるという意味だ。
感覚は情報を受け取るという意義があるから、これが干渉の存在によって示された。

最後に、感覚とは感覚系の要素である副体のことであると結論すればよい。

・知覚・認知・認識の定義

これらは感覚に関する概念であるから、感覚が干渉によって情報を受け取る一連の過程のうちに見出されるはずだ。

知覚は感覚が受け取った情報を「いわゆる感覚的な情報として」処理することである。この時点で既に情報はある程度の複雑性を持たされているから、情報の複雑性を解釈する過程が知覚だと説明できる。

認知では対象についての解釈が含まれるから、知覚よりも抽象的だろう。だが、知覚では感覚としての情報の性質をまだ全て確認したわけではないから、この残っている部分の解釈を行う必要がある。
従って、情報の複雑性に依存しない部分を解釈する過程が認知だと言える。

では認識はどうなるだろうか。
感覚についての解釈は既に完了しているが、しかしこの時点では感覚ごとに独立した解釈しか達成していない。
だから、感覚を総合して感覚外の副体に情報を受け渡す過程が認識だと言えるだろう。

以上は心理学的な意義をあまり考慮せずに、機械論的な整合性だけを元に構成された知覚・認知・認識の定義であるが、ひとまずこの定義を受け入れることにする。

ところで、知覚の過程以前にも感覚の機構として組み入れねばならない過程が存在している。
知覚が情報の複雑性を解釈する前に、まずその情報を干渉によって受け取らねばならないから、整合性を考えるならこの過程も定義すべきだろう。
これを受容と呼ぶことにする。

即ち、感覚の情報は受容→知覚→認知→認識の順に処理され、最終的に他の副体に引き渡されるのである。

・受容について

この受容という概念については詳しく考察する必要がある。というのも、これは明らかに干渉の個別的な概念であるが、より特別な意義を持たされているように見えるからだ。

干渉はある副体の持つ情報を他の副体に伝えるという概念である。干渉そのものは副体の関連を定めるだけであって、実際には情報とは独立している。
では受容が何を表すかと考えると、これは副体と干渉の複合概念の1つとして理解できる。
最初に感覚の定義の一つに複雑性を挙げた。だがその主語は「感覚を伝えている情報」ではなく、「副体が干渉によって受け取った情報」である。
そう考えると、「人間が感覚によって刺激を認識する」という日常的な文脈における「認識する」の指す意味とは、「ある副体が情報を受け取った状態」のことを言っているのだ。
決して「刺激を情報として受け取ること」を指しているのではない。

この違いが分かるだろうか?
前者は「認識する」の対象が副体になっていて、後者は干渉になっている。この2つは同じことを言っているようで、実は全く異なる意味を表現しているのだ!

この違いを把握したうえで改めて受容について考えると、その構造が浮き彫りになってくる。
受容とは、干渉によって副体の具体的な状態が変化することを意味する概念だと定義できる。
だから「感覚によって刺激を認識する」というのは、受容における副体の状態の変化のことを言っているのだと解釈できる。



§3 視覚系

前の記事で、人間の感覚とタルパを認識する際の感覚は同じ次元を持つだろうと予想したが、その根拠はそれほど強くなかった。
しかし軸を対称性として定義すれば、この点を明確にすることが出来る。

視覚・聴覚・嗅覚は左右の2系統に分けられそうだが、これは一般化の範疇としたい。左右の違いを考えたところで特に面白い結果にはならないからだ。

感覚系としての視覚を視覚系と呼ぶわけだが、これが保存するような性質とは何だろう?言い換えれば、視覚の持つ対称性とは何だろうか?
ここで明らかにしたいのは以下の通りだ。これは他の感覚についても言えているだろう。

・感覚の持つ性質(機械論的、前機械論的問わず)
・その性質の持つ対称性・保存則
・それは常に成り立つか?近似であるか?(近似ならばどんな条件で成り立っているのか?)

視覚は光を受容する感覚である。それ以外にも視覚の機能としてまとめられているものもあるが、ここでは単に一般化しておく。
では、これを受容する副体はどのような性質を持つだろうか?

視覚の特筆すべき性質の一つに、容易に創発することが挙げられる。より分かりやすく言えば、視覚には名前の付いた複雑性が多く見出されるのだ。
形、質感、顔認識などは全て視覚の持つそれぞれの複雑性に名前を付けたものだ。
だから、視覚はこのような複雑性についての対称性を持っていると言えるだろう。ただ複雑性を持つだけならば名前を与えられることはないだろうが、逆に概念に名前が付けられたということは、その概念は保存されていると言えるだろう。
無論、これらの対称性は各々複雑な場合にのみ成り立つ近似的なものだ。

まずこの時点で、視覚系に属する副体は、複雑性によって関連付けられた1つの基本的な対称性を持っていると言える。
しかし、1つだけの対称性で視覚の性質を説明できるだろうか?

視覚には方向がある。どの方向を向こうが、視覚の視覚としての性質は変わらない。
つまり視覚には方向についての対称性が備わっていることになる。正確には、視界内での視点の移動についてと言うべきだろう。
重要なのは、この対称性は先に挙げた複雑性に関する対称性とは完全に独立しているということだ。
従って、視覚系の副体には2つの軸が見出されることになる。

結局、この結論は前の記事と同じことを意味している。
前の記事では「情報の位置づけが可能」と表現していたが、これは後者の対称性の別の表現だと解釈できるだろう。やはり、件の表式は正しかったようだ。
より明確に言えば、情報の複雑性によらずに任意に位置づけることが出来る性質を持っている。これを空間対称性と呼ぶことにする。



§4 聴覚系

次の聴覚についての感覚系、聴覚系について考察したい。
と言っても§3で前の記事での考察の正当性が示されたから、基本的には視覚系と変わらないだろう。

聴覚でも複雑性はある程度持ち得る。しかし視覚よりは持たない。
では、具体的にどんな複雑性なら視覚と聴覚で有意な違いが出るのか?

少し考えると、質感という概念は視覚にも聴覚にも存在することが分かる。視覚の場合はテクスチャとして、聴覚の場合は音色として認識されることになる。
共通点はどちらも繰り返し的なパターンであるということだ。
つまり複雑性を持ちながら、それ自体が連続性を持つような形式でなければ、聴覚では創発し得ないことになる。
この点で、視覚系と聴覚系は明らかに異なる。

だが、空間対称性はやはり成り立っている。
そういう意味では、複雑性についての保存則の性質が若干異なるだけで、一般的には視覚系とは同一の表式を持つと結論できるだろう。



§5 嗅覚系・味覚系

嗅覚と味覚はわずかなニュアンスの違いがあるだけで機械論的にはほぼ同一であるから、ここでまとめて考察しておく。

・嗅覚系

前の記事では、嗅覚は内部的に複雑性を持つだけで、視覚や聴覚とは変わらないとされていた。
だがこれは感覚を運ぶ情報がふるまう空間に着目した定義であって、今は感覚そのものの空間について考察しているのだから、これは考え直す必要がある。

感覚が内部的に複雑性を持つとはどういう状態だろうか?
視覚では複雑性を持たない軸が最初にあって、そこから創発を重ねることで構成されている。一方で嗅覚では最初から情報が複雑であるのだ。

この違いは、情報のふるまいの違いとなって表れる。情報のふるまいとは、即ち干渉における情報の性質のことだ。
情報が複雑でなければ、干渉はそれ以上別の干渉に分けて考えることが出来ない。複雑性の定義を思い出せば、複雑性を持つ干渉が他の干渉に分解できるのは自然だと理解できる。

だから嗅覚がこのような複雑性についての対称性を持つことは言えている。
そして視覚や聴覚と同様に、このような対称性は近似であるわけだが、少し事情が違っている。
視覚や聴覚の場合は、より単純な領域の情報を変化させないという条件を課せば近似ではなく常に成り立つと解釈できた。
この条件が、嗅覚においては確実に課すことが出来ないのだ。
なぜならば嗅覚系には複雑性を持たない軸が存在しないため、単純な情報を変化させない、即ちそれより単純な領域における情報を変化させないという考察が出来ないからだ。

言い換えれば、嗅覚の複雑性の保存は、それが前機械論的に嗅覚そのものを保存するような操作を意図的に選ばない限り常に成立するとは言えない。

では、視覚や聴覚のように空間対称性は持っているだろうか?

一見すると、これは正しいように思える。「どこに見える」「どこから聞こえる」と同様、「どこから匂う」という考え方も出来るではないか。
しかし、ここでもやはり感覚そのものを主体としていることに注意せねばならない。特に人間の感覚についての個別的な考察であることを忘れてはいけない。

もし犬にとっての嗅覚であれば、この対称性があると考えるのは無問題だろう。
人間にとってはどうだろうか?「人による」とでも言いたくなるのではないだろうか。

論点が明確になるように、この対称性を確実に見出すための操作を考えてみよう。
空間対称性では、感覚の空間上における情報がその複雑性によらずに操作によって位置を変えられることを意味している。
ここでの位置の変化とは平行移動だったり回転だったり、色々あるわけだ。

位置を変化させるための操作として、匂いの元になっている物体を近づけたり遠ざけたりすることについて考えると、どうなるだろうか?
ある範囲では、確かに保存している。だが、ここでの「範囲」とは機械論的に理解された空間における概念ではなく、専ら前機械論的な概念なのだ。
これは意図的に前機械論的な操作を選ばない限り、この対称性が成り立たないことを意味している。
複雑性についての対称性と決定的に異なるのがこの点で、対称性を成り立たせるための条件は機械論の外部にしか存在し得ない。
従って、これまで考えていた意味での空間対称性は成り立たないと考えるのが自然だろう。

それでも、このような範囲に対応した対称性というのは定めることが出来る。
あくまでも嗅覚系のみについて個別的な考察をしたければ、そう考えることも出来るということだ。

・味覚系

前機械論的に考えれば、味覚は嗅覚と同じ理由で内部的に複雑性を持つ。
その詳しい性質も先に嗅覚系で考察しておいた通りだ。

空間対称性については明らかに成り立たないと結論して良いだろう。
確かに味覚は口内のどこか一点で感じるわけではないが、その空間的な広がりを認めたところで有意義な考察には発展しない。
言い換えれば、情報の位置を変化させ得るような操作が、味覚にはそもそも見出せないのだ。



§6 触覚系

日常的な用法では、触覚は皮膚感覚・温覚・圧覚などを代表した概念だと受け取られる。
しかしこれまでの考察で分かる通り、機械論的には触覚によってこれらを一般的に代表するということは不合理なのである。
ここで触覚と言うときは、単に体の表面での「触れた感じ」そのものを指すのであって、圧迫感や温冷感の伴わないような一般的な概念であるとする。

すると、触覚には複雑性を持つ余地が無いことが分かる。
触覚が受容によって取り得る状態は触れられている触れられていないかのどちらか片方であり、この状態そのものには連続性は存在しないからだ。
連続性による意味を持たなければ、仮に触覚に複雑性があったとしても、それを保存するような操作を見出すことは出来ないため、結局は矛盾する。

必然的に、触覚が感覚として成り立つには空間対称性による連続性が成り立つ必要があることが分かる。
実際、確かにこれは正しい。触覚は体のどこか一点のみで感じているのではなく、体表面全体が連続的な感覚器官である。

この表式を見れば、人間にとって触覚が他の感覚に対して特殊であることは分かるだろう。
では実際問題として、具体的にどう特殊なのか?
それは触覚という感覚を表式によって一般化する際に明らかとなる。



§7 表式による感覚系の一般化

以上の考察の通り、人間の感覚は2つの対称性の組み合わせによって表現され、また分類される。
ここでそれらの組み合わせと性質を簡単に述べておく。
以降の考察は予想や推測を含んでいる。今後の個別的な考察の課題とすべきだろう。

・SC形式

S空間対称性C複雑性についての近似的対称性を示す。それぞれSpace、Complexityの頭文字を取った。
人間にとって視覚系と聴覚系がこの形式を持つ感覚系である。

この形式は、複雑性が空間対称性を巻き込んで創発することに主な意義がある。こうすることで情報単体ではあり得ない感覚を得ることが出来るのだ。
それはある程度以上の抽象的な概念を身に着ける上では必要条件であるように思われる。情報単体だけでは、それ自身が持つ複雑性以上の情報を表し得ないからだ。そして複雑性は創発に関する概念であるが、創発の条件の1つに一般性の大きさがある。これは創発するごとに徐々に失われていくのであった。
複雑性だけで抽象的な概念を表すにも限度があるということだ。

また、離散的対称性としての空間対称性を得られるのもS-C形式のみである。
例えば自分を中心とした前後・左右・上下という区別についての鏡像対称性はS-C形式によってのみ見出される特殊な対称性だと考えられる。

・C形式

感覚が複雑性についての対称性だけを持っている形式。
人間にとっての嗅覚系と味覚系に当たる。
端的な言い方をすれば、周辺環境の情報だけを得ているような感覚がこの形式を持つ。

ここではC形式が複雑性を持たないような単純な情報を持ち得ない前提で話が進んだが、必ずしも単純な情報を持たないわけではない。
そう考えると、C形式は感覚に対する操作について複雑性を常に保存する条件を課すことが出来る場合出来ない場合とで更に個別化され得るだろう。

人間の感覚においてC形式が近似的対称性でしか見出されないのは、何か理由があるのだろうか?
これはおそらく、物理的な制約が存在することに起因する問題だろう。
もし人間の嗅覚や味覚が個々の原子のそれぞれに対応していたらどうなるか、少し考えてみるといい。それは豊かな複雑性を持つだろうが、感覚器官を維持するのに一体どれほどのコストが必要になるだろうか...
言い方を変えれば、持ち得る複雑性が非常に多い情報を感覚として得たい場合、そこに何かしらの制約が存在するならば、必然的に近似的となるのである。

そして一般的に、複雑性には何かしらの制約が存在している。それは創発の条件からして自動的に言えることなのだ。
この「制約」とは何を意味するだろうか?
創発における条件は創発の起こりやすさについての制約だったが、複雑性と創発は全く同じ概念ではない。

創発がその条件から「創発が起こるごとに起きにくくなる傾向にある」ことを考えれば、数段階の複雑性を隔てた副体間には強い制約が存在しているはずだ。
まるで副体が自分自身の複雑性についての何らかの値のようなものを持っていて、その値の差に応じて制約の強弱が決められているようではないか?

この類推から、複雑性を持つ副体には、自身の複雑性に応じた位置エネルギー的な概念を伴っていると解釈できる。
まず直感に逆らわないように位置エネルギーと言ってみたが、要するにポテンシャル的な概念を導入したいのだ。
これを創発ポテンシャルと呼ぶことにする。

つまり、感覚系がよりポテンシャルの高い(複雑性の大きく異なるような)感覚を持つためには、何かしらのより強い制約が課されると考えると、理論を現実に適用する際によく現れる物理的な制約といった概念を一般化して包括的に論じられる。
創発ポテンシャルについては§8で詳しく解説している。

話をC形式に戻すが、要するにC形式では複雑な情報を扱いたいがために、その基礎にある程度複雑な情報を置かざるを得ないのだ。
そうでなければ、その感覚系は創発ポテンシャルによって強い制約を受けねばならない。
振り返ってSC形式について考えると、この形式では情報がその空間を巻き込んで創発することによって、創発ポテンシャルの増加を抑えながら複雑な情報を獲得していると解釈できるだろう。

・S形式

感覚が空間対称性だけを持っている形式。
人間にとっての触覚系に当たる。
この形式の性質は感覚の受容について考察することで良く理解できる。

受容とは、感覚外の副体からの干渉によって感覚の副体の情報が変化することを表現する概念である。
C形式を持つ感覚では言わば変化の程度に応じた意味が見出されているのだが、S形式にとっては「変化した」ということが受容によって得ている情報の全てなのである。

SC形式では空間対称性を持つが、C形式の近似によって、全体としては近似となっている。
S形式はC形式の影響を受けずに済むので、常に成り立つ対称性によって感覚を得ることが出来るのだ。
特に感覚が感覚外の副体と干渉する場合、感覚外の副体が持っている情報に対して対称性による保存則を与えることが出来る。

少し応用的な例を挙げれば、空間認識を感覚として捉える場合にもS形式が見出される。
このような感覚について考えると、S形式の持つ性質を直感的にも理解できるだろう。



§8 創発ポテンシャルについて

今のところ創発ポテンシャルについては、このような解釈もあるというだけで、これに上手い表現を与えるにはかなりの工夫を要することが分かっている。
創発ポテンシャルについて詳しく考察していくと、いわゆる物理法則のような概念の一般化を避けて通れないのだ。
即ち「なぜ日常的な現象は物理法則を満たすように動いているのか?」という疑問に決着をつけねばならない。
物理学的にはこのポテンシャルによって物理法則が定まっているのだから、当然の話ではあるが。

物理法則を満たすということは、それに従った運動の前後の状態には因果関係があると考えられるだろう。
では機械論では因果律という概念はどのように扱われていたのであったか?

つまり、ここで実体的な概念にまで考察が及ぶのである。
機械論的には、ある対象が物理法則を満たすように運動するという単純で当たり前な現象は、根本的に実体によって規定されていることによって保障されると解釈せねばならない。
一体、実体は物理法則の何を規定しているというのだろうか?

これ以上の考察はここでは控えておく。こんな話をしなくても以降の考察に支障はないからだ。
それにしても、実体が確かに副体のふるまいを数学的に規定しているという、この問題にはいずれ真正面から向き合うことになるだろう。



後記

§7以降は今のところ研究途上であるが、それと言うのもこの記事は本来は§6までの内容で良しとしていたのだ。
後になってやはり一般化の必要性を悟って考察を進めたのが、感覚のSC対称性についての話である。

結果的に§7の内容を盛り込んで良かったと思う。
おかげで、今後の研究の方向性がずいぶん明確に定まったのではないだろうか?

実際にはこの記事に関連した話で、もっと書きたいこともあったのだが、それは応用編として後の記事でじっくり考察していこう。
感覚外の概念について見出される疑似感覚とか、幻覚共感覚など、この記事の内容からすぐにでも言えることは色々あるのだ。

最後に§8で創発ポテンシャルの話を書いておいた。これは随分と挑戦的な内容だ。
これについての補足記事は、暇があれば上げるだろう。

まさか2018年中にこの問題を解決できるとは思ってないが、もし解決できるとしたら、よく知られた物理的な概念をタルパ機械論に持ち込むことが出来るようになる。
それどころか、逆にタルパ機械論の理屈で物理現象を記述することも出来るだろう。
創発ポテンシャルとは、物理的な理論と感覚的な理論とを統合し得る、非常に大きな可能性を秘めた考え方であることは、今でも確かに言える。
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