忍者ブログ
明確になった問題は共有される。共有された問題は議論される。議論された問題は無害化される。
[4364] [4363] [4362] [4361] [4358] [4357] [4356] [4355] [4354] [4352] [4353]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

次にオート化の一部分である、感覚化について考察してみたい。
もっとも感覚化に適用できる理論は、より一般のオート化にも適用できるのであるが。


§1 五感化


オート化とは副体間の関係性についての概念であることは既に説明した。
感覚化と一言にいっても、その感覚が表す意味はタルパごとには明らかに異なる。

そこで、タルパー間ではおそらく共通事項とみなせるであろう、五感のオート化について考えてみたい。
言うまでもなく、視覚化・聴覚化・触覚化・味覚化・嗅覚化のことである。

視聴触については実例を挙げるのは難しくない。
しかし味覚化と嗅覚化まで考えると、途端に実例が少なくなるのだ。
この二者の間で何が異なるのか?
それとも、背後により決定的な要因があるのだろうか?

ここでは五感化の適切な分類について、最終的に適切な結論を示そうと思う。



§2 エネルギーについて

まず、これらのオート化に対応するタルパー側の副体は、副体として何か特別な要素を持っているわけではない。このことから、最も一般的にはこれらは区別されない。
逆に自明な分類として、それぞれが何のオート化を表すパラメータを軸に含めれば、互いに区別することができる。よって、最も個別的には互いに区別される。
これを確認しておくことは重要だ。これによって、まず初めに2方向の考察の拠点が提供されることが分かる。

普段ならば前者を取るところであるが、今回は後者のアプローチを採用する。五感化はオート化よりもずっと個別的な問題であるためだ。

そこで副体の作用に注目する。
作用とは、副体に属する情報が直前の情報による影響を受けるような、その影響のことを指している。

作用という個別的な概念の中でも、特に五感化に共通する一般的な考察を展開してみる。

まず、この作用が適用される情報は物理的な制約を受けているだろう。
これはタルパに対する五感化という意味では正確ではないが、その元となる感覚については間違いなく言える事実である。
実際の感覚を元にして五感化に取り組む限り、作用はその影響を受けずにはいられないだろう。

具体的に言えば、この作用は物理的な制約に従っているように見えるということだ。
この考察によって物理学上の概念を参照できるようになるが、ここではエネルギーについて考えてみる。それと、五感化にかかわる副体が持つ情報とを合わせて解釈するのだ。
後はエネルギーという概念が機械論の何に対応するのかを調べればよい。

これには一つの仮定を必要とする。即ち、副体が物理系に対応するということだ。
これは別に突拍子もない仮定にはならないだろう。特に干渉場のイメージを考えてみれば、その軸は明らかに具体的な空間を定めるのだから、それを物理系とみなすことは自然である。
そして干渉場に定められるなら、通常の副体にも矛盾なく定められる。

物理系に対応する副体について考えると、その個々の情報は特定のエネルギーを持つ。
なぜならば、その副体は干渉によって他の物理系と情報をやり取りすることができるからである。

従ってエネルギー保存則の適用により、副体の情報は保存されると言える。

すると、このような作用によって情報が新たに発生することはないという結論に至る。
別に難しい話ではない。ある単一の副体が作用によって新たな情報を発生させるのは、明らかにエネルギー保存則に反するのだ。
作用による情報の発生があり得ないのだから、その作用は単に情報の空間上での運動を定めるだけである。



§3 五感化の複雑性に関する分類

そのような情報は何らかの(物理学上の概念である)力を媒介していると見なすことができる。少なくとも一般的には、そのような言い方が出来る。
例えば副体A={r,s},副体B={s,t}が副体C={s}上で干渉するとき、{s}空間上に定義される作用が力であり、この作用を受ける情報そのものは力を伝えているのだ。即ち、フォースキャリアなのである。

もう少し具体的に考えてみる。

感覚に直接関連する副体は2つある。感覚そのものの副体と、その情報を伝える干渉場としての副体だ。
先の例で言えば副体A,Bが前者、Cは後者に当たる。
Aがタルパの姿形、Bがタルパーの視覚と考えれば、Cはその間の空間ということになる。

ただし、これは感覚についての副体という意味では一般的な定義だ。
個別的には干渉場が見いだされないこともある。しかしその場合でも感覚が直接に干渉するなら、その間に形式的には干渉場を見出すことが出来る。
逆に、干渉場が存在しても適切な条件下ではそれを取り除くことが出来る。

干渉場の情報がフォースキャリアであるというのは、感覚に対応する副体には大体適用できる。
大体というのは、つまり例外があるということだ。
その場合は、干渉場についてではなく感覚そのものについて考察していく必要がある。

そこで、このような概念を五感化に対応する副体に適用していくのだが、ここでは元の感覚を一つずつ個別に見ていきたい。
そうすることで自ずと分類が見えてくる。

視覚については、全てが明確だろう。視覚は光を情報として受け取る。このフォースキャリアは光子である。
ところで光子は素粒子であって、それ以上何か別の性質に分解することができない。このような性質は、創発のなす副体の半順序構造において最小元であることと理論的に解釈できる。これを単純なフォースキャリアと言う。
これを基準として、他の感覚を考察していく。

聴覚では視覚と同様の考え方が適用できる。ただフォースキャリアの定義に注意が必要だ。
情報が音であるのはすぐに分かる。これを媒介するのは空間(大気)であるが、どのように定義すればよいだろうか?
大気は複数の成分に分けられるのだから、個別的な考察に固執するとこんな疑問が出てくる。

しかし、音を媒介する性質がそれぞれ異なるわけではない。
これらの情報は抽象化されて結局は"大気"という単純なフォースキャリアが残るのみである。

次は触覚であるが、これは一層特殊である。
触覚のフォースキャリアとは何だろうか?そう考えたときに、触覚にはこの概念が定義できないことが分かるのだ。
実際、触覚による干渉には干渉場は定義されない。干渉場の情報であるようなフォースキャリアもまた定義されないのである。
無論、感覚というものを横並びで定義したければ、形式的には干渉場を見出すことは可能である。

そして触覚は、聴覚と同じような理屈で情報を抽象化することができる。その場合は単純で形式的なフォースキャリアとなる。

次の味覚は、触覚とは違った形で特殊である。ここではフォースキャリアに注目しているので、そこだけ取り上げることにする。
形式的なフォースキャリアでも実際の情報でもよいが、味覚は単純な情報かどうか考えてみれば良い。明らかに、単純な情報だとは言えないのだ。
味覚の情報というのは、それ自体に創発の関係性を含んでいる複雑な情報なのである。

最後に嗅覚。ここまで考察すれば自ずと分かるだろうから端的な結論を示すが、これは意味的にフォースキャリアが定義され、複雑な情報を伝えるような感覚である。
嗅覚は触覚のような接触を必要としないことから、フォースキャリアが定義される。
また、視覚や聴覚のような単純な情報ではなく、内部に創発を含む。

これで五感すべての機械論上での性質が明らかとなった。
これによって五感を分類する。その際にフォースキャリアの存在や情報の性質を考慮するのだ。

まず、明らかに視覚と聴覚は単純なフォースキャリアを持つグループに属する。
これに触覚を含める解釈もあるだろうが、触覚はフォースキャリアを持たないグループを包括する感覚でもあるので、五感の中では単独で1グループを形成する。
そして味覚と嗅覚は複雑なフォースキャリアを持つグループに属する。

五感化に対応する副体はこれらの影響を受けるのだから、この通りの分類に落ち着くはずだ。



§4 創発の導入・消去

五感化についての分類が理解できれば、それを一般の感覚化に応用することは難しくない。
例えば他の感覚としてよく触覚化の一種とされる温感化は、実際にはフォースキャリアを持つのである。したがって、温感化は触覚化を前提とはしない。
このように他の感覚との関係を論じることができるのだが、ここでは特に創発について考察する。

創発とは端的に言えば単純な情報から複雑な情報が見いだされる現象である。その機構の1つに、意味の連続性に関する位相の情報化がある。
単に副体の性質を考察するだけなら、選択的機序によって任意に導入や消去を考えてみることが出来る。

実際にどちらが適用できるかは、フォースキャリアの情報としての複雑性を考えればよい。元々複雑性を持つのであれば、背後に単純な情報が見いだされるはずである。味覚化や嗅覚化は明らかに該当する。
逆に、単純な情報に創発を導入することで複雑な情報を見出すこともできる。視覚化では特にその傾向が強い。
しかし問題はそうして見いだされた情報が、実際には感覚として扱われるとは限らないということだ。特定の実体で得た考察を勝手に他の実体に持ち込むことは出来ない。

創発とは、単に情報の意味を組み合わせて解釈することではない。
たとえ視覚化していなくても姿形に関する設定があれば、タルパが視覚にどんな形で現れるかを自然に想像することができるだろう。
それと同じことが、情報の意味に対しても起こるようになるのが創発である。
通常、創発後の情報創発前の情報の組み合わせとして形式的に表現される場合でも、その性質までもが組み合わせによって表現されるわけではない。

創発の導入とは、それらの空間的な部分が単なる情報の集合としては説明できないような意味を持つようになることである。
視覚化や聴覚化では自然に(つまり因果的機序によっても)起こり得る。部分的な情報が得られるのに、タルパそのものに結び付けることができないという例は、よほど視覚化を機械的な方法で訓練しない限りは考え難い。

一方、その逆の創発の消去は自然には起こらない。人間の構造上、起こす必要が特にないのだろう。
これは味覚化や嗅覚化に適用できる。ただし話は単純ではない。先の考察を参考にすれば、組み合わせの解体が本質なのではない。

例えば味覚は5つのパラメータがある。単純に言えば、5つの軸を持つ副体である。実際この解釈は正しい。
しかしながら創発の消去とはこれを解体して1つの軸を持つ5つの副体を見出すことではない。やはり、創発の導入と同様に困難である。



§4.1 創発と素粒子の関連性

§4で創発とフォースキャリアの話題を取り扱ったからには、ぜひとも触れておきたい。
素粒子から複合粒子が生じる機構は、単純な情報を素粒子、複雑な情報を複合粒子に関連付けることによって創発によって説明できるのだ。

素粒子は粒子ごとに決まった法則で相互作用する。この事実から(素粒子ほどの微視的スケールでは)互いに相互作用する粒子は共通の軸を持っていると考えられる。
当然、粒子自体は副体に対応する。
ところでここでは暗黙のうちに3次元空間を仮定しているから、この軸は3つの軸を抽象化した1つの軸と考えてよい。

これら素粒子は互いに結び付いて複合粒子を作り、最終的には原子や分子を構成するだろう。
そのような粒子では4つの基本相互作用の影響を受けるから、先に挙げた抽象的な軸を4つは持つと単純に考えて良い。
しかし、このように説明される原子や分子が持つ巨視的な性質を、この4つの軸のみによって説明することができるだろうか?
言い方を変えれば、この4つの軸によって定められる空間の(機械論的な意味での)作用のみによって説明できるだろうか?

これは不可能である。もし可能であるならば、例えば未知の原子に対しても巨視的な性質を予見することができるだろう。しかし現実にそれは不可能なのだ。

微視的な性質はともかく、巨視的な性質はこれらの軸のみによっては説明されない。
従って物質という広い括りではそれ以外の軸を持つはずなのであるが、現実にはそうではないのである。
ならばこの現実を説明するための唯一の手段は、軸としては同一であるが性質は異なると解釈することである。
必然的に、創発という考え方に行き着くのだ。



§4.2 創発と五感の関連性

創発が起こるからには、そこには当然ながら複数の情報が絡んでくる。
巨視的には近似の影響で情報が単独で創発することも考えられるだろうが、微視的には情報の性質はその情報自身が間違いなく表していると解釈できる。今は個別的な考察をしているのだから、このような解釈が可能だ。
言い換えれば、創発後の情報は形式的には創発前の情報の集合として表現できるのである。

特定の素粒子のグループは決まった形の複合粒子を形成して、それらは常に同じ性質を示す。
これは異なる系の粒子が(それぞれの粒子は同じものであるとして)同じ軸を持つように創発したとすれば説明できる。
例えば副体A={r,s},副体B={r,s}のとき、それぞれの系で同じ情報のグループが創発した際、その情報がそれぞれ副体A´={r´,s´},副体B´={r´,s´}に属するものであれば、結局は同じ性質を示すことになる。

しかし、このような疑問が湧き上がるだろう。

何故、現実にそのようなことが起こるのだろうか?
先に副体A上の創発によって軸r´,s´が形成されても、副体B上の情報はそれを知らないはずだ。にもかかわらず副体B上でAと同じように創発するということは、軸(あるいは空間)そのものが他の軸に影響を与えていると考える他にはあり得ないのである。
この場合、副体A上の創発によって形成されたr´,s´が、軸r,sに影響を与えた結果、同じ軸を持つ副体B上でも同じように創発したと考えられる。

この謎は、真空のエネルギーという概念を考察することによって明確になる。
これは妥当な論理的帰結である。副体に情報がなければ他の副体に干渉することが出来ないのだから、逆に干渉が起きているということは何らかの情報が存在していると考えられるのだ。
この例では副体Aで創発が起きた直後の副体B´の系には一切の情報が含まれないはずだから、言わば系全体において最小のポテンシャルエネルギーを持つ。即ち、真空がエネルギーを持つはずだという結論に至る。

ここで空間がエネルギーを持つ解釈が機械論において正当化されたから、§4.1の結論をエネルギーと関連付けることが出来る。

複合粒子が安定しているのは、そうしていれば全体のエネルギーが小さくて済むからであって、不安定な粒子はすぐに崩壊してしまう。
話を五感化に戻すが、そのような不安定な粒子が媒介する情報を感覚として受け入れられるだろうか?
五感がこの5つ(ここでは触覚には触れていないが)であるのは単なる偶然ではなく、物理的にこれらが安定しているからこそ感覚として受容しているのである。
厳密にいえば、それらの情報が安定な形式を得られるからである。

さらに、安定な形式とはスケールそのものより、言わば外部から攪乱されにくいかどうかで決定される傾向にある。
素粒子スケールでは外部からの相互作用が(よほど系のエネルギーが高くない限りは)小さいため、安定な形式を得やすい。
これが日常的なスケールになると相互作用によって乱されやすくなり、安定な形式が得られなくなる。
しかし天体スケールでは再び外部の影響が小さくなり、安定な形式が見いだされるのである。

この関係性を五感化に持ち込むために、一旦機械論上の概念に一般化する。
安定な形式を得るとは即ち創発のことであり、これには空間のスケールとその副体の一般性が考慮される。
空間のスケールとは、単にある副体上でどれくらいの大きさに注目するかという意味だ。これが大きいほど副体上の作用は複雑になる。
一般性はどれくらい個別的な性質を考慮するかを示す機械論独特の概念である。軸の集合としての副体を考察するとき、その一般性は大きいといった言い方になる。
特に創発は作用の影響を受けるだろうから、ここでの一般性とは作用についてのことだと言っていい。

つまり一般性とスケールの概念が、次のような関連で創発を規定していることが分かる。
一般性が小さい場合は、創発はスケールの影響を受けやすい。
一般性が大きい場合は、創発はスケールの影響を受けにくい。

この関係によって、先の例をも矛盾なく説明できる。
一般性が大きい場合というのは複雑な相互作用を考慮しないことを指す。これは素粒子レベルの基本相互作用かもしれないし、あるいは天体スケールでの重力に限った話かもしれない。
どちらにせよ、ここでは安定な形式が得られるのである。
逆に一般性が小さい場合とは複雑な相互作用を考慮する場合であるから、スケールによっては安定な形式を得ることが難しくなるのだ。

この結論を、五感化の考察に落とし込めばよい。

視覚と聴覚は一般性の大きい作用を扱う。従って、安定な形式が見つかれば創発が起こるのである。これはスケールによらないから、巨視的にも同様である。
聴覚については、物理的な作用をある程度一般化していることに注意せねばならない。実際には温度などの要因で音の伝わり方は変わるのだが、ここでは聴覚としての目的上、大気として一般化しているのであった。

一方で味覚や嗅覚は一般性の小さい作用を扱う。微視的には創発が起きているのだが、巨視的には安定な形式を見出すことは難しい。
また物理的な考察からも確認できるが、創発によって安定している情報を分解して単純な情報を観測するのは困難なことがある。
具体的な話をすれば、この2つの感覚はどちらも物質の受容がその機構となっている。ある特定の物質が感覚に対応するとしても、より単純な物質が同様であるとは決して言えないのだ。
塩がしょっぱいからといって、それが塩素とナトリウムがそれぞれ味覚に反応したものの単純な足し合わせと考える人はいないだろう。

最後に、これまで無視してきた触覚について触れておきたい。

§3での分類の通りに考えれば、触覚が扱う情報というのは、それ自体が情報として振る舞う空間を持たないのである。
形式的にはそれを見出すことが出来るのであるが、結局は五感に対応する副体と全く対等な存在である。
要するに、感覚を示す情報としては創発することが出来ないと言える。

従って、触覚はそれ単体で外部の副体を知ることが出来ないのだ。
他の感覚にとって、感覚を通して外部の副体についての情報を得られるのは当然であるから触れなかったが、触覚ではこれは不可能である。

このことは厳密に考察する必要がある。
例えば「冷え性のタルパなら触っただけで分かるかも!」などと考えても、それは冷感を受け取る副体と干渉した結果であって、触覚単体から得た情報ではない。
このように、触覚の本質とは他の副体との干渉による創発が主であることが分かる。
先の記事でオート化の要因を干渉と創発とに分けていたが、触覚はその複合的な場合に核となるのだ。
そう考えると、触覚は感覚のなかでも一層特殊な立ち位置を占めていると考えられるだろう。

さらに機械論的な考察を加えると、次のように理解できる。
他の感覚を表す副体は(特に視,聴では)それぞれ空間の次元に対応した軸を持っているが、触覚はそのような軸を持たない。
具体的に表式を示してみよう。

視覚や聴覚では、感覚の情報を適当な位置づけが可能である。仮にこの空間が2次元であるとすれば d = {d1, d2} という風に抽象化された軸dを持つはずだ。重要なのは、この軸は感覚によって異なるということである。
同様にして、感覚として受容される特徴も必要であるから、それぞれ固有な軸を少なくとも1つは持っていると言える。そのような軸は具体的な考察による必要があるので、ここではやはり抽象化された軸を用いる。
すると、感覚を表す副体の最も簡単な表式とは A = {d, r} のような形式を取るのである。

ところが触覚では表式が異なる。
触覚の副体が扱う情報は触れたか触れていないかのどちらかであるから、感覚として固有な特徴を示す必要がない。
ゆえに感覚が位置に関する軸だけを持ち、 B = {d} のような形式を取る。

この差異は何を意味するか?
前者では情報が感覚を示す情報として創発できるのに対し、後者ではそれが出来ない。
触覚を伴う創発では、必ず触覚以外の何かしらの副体が関係するのである。
dに属する情報はそれ自体安定していると考えていい。これが創発するなら位置に関する情報がある程度失われることになるが、実際にはそのようなことはないからだ。

これは触覚に決定的なメリットである。
触覚の扱う情報は単独では創発しない。つまり恒久的な安定性を持っている。触れるという感覚を得た生物の進化は実に合理的だと言える。
その一方で創発する際は必ず他の副体を伴う。それは感覚以外にも任意の副体が当てはまる。
つまり、任意の副体に対して、触覚が得られる範囲内であれば常に適切な位置づけが可能なのである。
これは錯視や錯聴に示されるように、視覚や聴覚ではそう上手くいかない。ただし触覚に対応する副体自体が歪むと錯覚が起きることがある。

さて、触覚と表式が同様な副体については機械論によって同じことが言えるから、これを任意の副体に適用してみることができる。
色々試してみるのも面白いのだが、ここでは極端な例を与えてみよう。

このような軸dを現実の空間に重ねると、どうなるか。

d上の情報は安定していて、任意の副体をその上に位置づけることが出来る。その任意の副体にタルパの副体を取れば、このような副体にはオート化を適用することが可能だ。
そのオート化は専ら他の感覚との干渉によって進行するから、タルパがどのような場合に空間上のどこに位置するかを意味している。
これが即ち、動作のオート化だ。

触覚化と動作オート化は全く同じ形式を持っている。
これは意味的には異なるが、形式的には同じだと言えるのである。
特に人間にとっては触覚の位置は2次元上の点で表されるから、動作のオート化は触覚の3次元への形式的な拡張だと言っていい。



§5 五感と五感化

これで五感の副体に関する考察は相当細部にまで入り込んだと思う。
しかし通常の五感とタルパに対する五感化とでは趣が異なるだろうが、いくつかの差異は明らかである。

まず大前提として、§4.2で示した抽象的な軸dの中身、即ち位置に対応する次元は元となる感覚と異なることはないだろう。
これが異なると現実に重なるようにはならないはずだ。多くても少なくてもいけない。
ただし数が同じだというだけで、全く同じ軸ではない。

一方で感覚としての副体の作用は、現実の感覚と比べれば抽象的・一般的になるだろう。
感覚の情報を表す軸が減ったり、作用が単純化されている。要するに、物理的な制約はほとんど消滅する。

視覚は光が媒介しているから、作用によって遮られることがある。
しかしタルパの場合はそのようなことは起こらない。聴覚でもその通りだ。
事実これらは軸を上手く定めることで、少なくとも位置を定める軸については干渉も作用もしないようにすることが可能である。
それでも実際に視覚や聴覚が現実と重なるのは、感覚の情報を表す軸に関係があるためだと言える。

そして現実には触覚もまた現実と重なるのであるから、何か仕掛けがあるはずだ。それは位置を定める軸以外にはあり得ないことが分かる。
全く同じ軸だとも考え難いが、しかし同一の空間で作用しているように見える。
これはまさしく創発の条件を満たしているではないか!

つまり現実の触覚とタルパに対する触覚化との違いは、間違いなく創発によって説明されるのだ。
視覚や聴覚についても同じことが言えそうだが、触覚については言わば「言い逃れようがない」決定的な根拠を得ることが出来る。

この2つの違いは人間にとって何を意味するか?
創発とは情報の単なる組み合わせでは説明できない性質が見いだされることであった。
即ちこの2つは創発関係にある。しかしどちらがより単純な情報であるかは、この記事の考察では明らかにならなかった。
ただ一つ確実に言えることは、人間が触覚によって得ている情報は目に見えているものだけではないらしいということだ。

一応断っておくが、これは温感などのことではない。先にも説明したように、温感は触覚とは異なるのであった。

次に味覚と嗅覚を考察する。こちらは最初から創発に焦点を当ててみたい。
どちらも感覚としての情報が複雑であることは明らかだ。

味覚の方は少し特殊だ。実際の感覚にしても、これは位置を示す軸を持たず、感覚の特徴を表す軸しか持たない。
ならば触覚と同じ論理を適用して、味覚化が現実の味覚と作用するならば、それは両者の軸が創発関係にあるからだと言える。

しかし触覚はともかく、味覚は受容する分子構造が決まっているのである。一方でタルパについての味覚化では、そもそも感覚の情報は物理的なものではないはずだ。
これらが情報として創発関係にあるとは考え難い。

1つの可能性として考えられるのは、味覚(あるいは創発を含む感覚)は視覚や聴覚と比べて現実の感覚と作用しにくいと解釈してみることだ。
創発の起きやすさ副体の一般性は互いに関連しているが、そもそも創発自体が副体の一般性を低下させるのは普遍的な事実である。
この関係性を考慮すれば、創発を含むような感覚では現実の感覚との作用が起こりにくいと解釈するのは妥当ではないだろうか?

これに一般的な観点から証明を与えることはもはや出来ない。
この解釈が正しいかどうかは、より具体的な考察や実験を待たねばならないだろう。



後記

以上で五感化の考察をひとまず終了する。

この記事では副体を物理系と見なしてエネルギーの概念を導入し、特に創発についての具体的な解釈を与えた。
これはエネルギーを機械論にそのまま持ち込んだという意味ではなく、創発という現象の一性質という形で一般化して導入されたのである。
実際にエネルギーという概念そのものを扱うことも可能ではあるが、それは専ら物理的な考察に限られるので、機械論にとっては然程有用ではない。

ちなみに、感覚よりさらに一般的な概念である連続性には、エネルギーの考え方はほとんど適用できない。
エネルギーは機械論には創発として持ち込まれたが、連続的な副体に創発が見いだされるとは限らないからだ。
一般性を考慮して整理すると一連の概念は、「創発が見出される」⇒「感覚に対応させられる」⇒「連続性(位相による定義)が見出される」の順に帰結する。
そう考えると、物理学的な概念を応用できる限界はちょうどこの辺りだということが分かる。

ここに示した考察は個別的な要素を一般的な要素に引き上げて他の概念に適用する、機械論では最初の例だ。おそらくタルパ界隈全体でも、理論的にこれが示されたのは初めてだろう。
これまでは一般的な場合を考察して個別的な結論を得ていたが、この一般性という概念を誤解しない限りは、逆の考察もまた可能なのである。

次の研究記事のネタは特に決まっていないが、その前に少し面白いことをやってみたい。

今までは理論を図に表すには治療学のモデルを使うしかなかった。
これに代わる新たなモデルを、ここ数週間ひそかに開発していたのだ。
ただのモデルではない。これによれば、数式には現れなかった関係性が上手く可視化されるのである。
そこでは、実体に関する全く新たな見地も明かされるだろう。
PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
URL
コメント
パスワード Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
管理人のみ閲覧可能にする    
Search
Tweet
Counter
Calendar
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
Others
Powered by ニンジャブログ  Designed by ゆきぱんだ
Copyright (c) 座談会 with タルパ All Rights Reserved
忍者ブログ / [PR]