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読書百遍 其義自見
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タルパ機械論では具体的な例から考察を始めようと思っていたのだが、先の記事でまず一般的なタルパの概念を考察すると言ってしまったので...
主にタルパ機械論における一般的な概念の発展で考察した概念がタルパにとってのどんな概念に対応するかを考えてみる。
§1 機械論で表されるタルパ

既に何度か触れたように、最も一般的な場合としてのタルパの表し方は2通りある。
因果的機序と特別な軸による方法と、固有的機序による副体自体の分割のことだ。

素朴的には後者が先行し、その現実における射影として前者が成り立つと考えると良い。
このことは逆でも言えるので、その違いを簡単に説明する。

まずは固有的機序が先行する場合。
これはつまり現実における要素(因果律)がタルパに何の影響も及ぼさないと仮定することを指している。
よく考えると、この仮定は普通は正しくない。タルパーなら誰しも、外界の刺激に反応するタルパの姿を見たことがあるだろう。このときのタルパの行動は因果律の範疇である。
この仮定が成り立つのは、やや直観的な言い方をすれば、本質的に因果律が介入できない例外的な現象が発生しているという特殊な状況下に限られる。
このような状態は、固有的な状態・現象と表現することが出来るだろう。

因果律が介入できないとはどういう意味だろうか?
これは先の記事群における副体の発生の扱いについて考えれば、これを象徴する現象が思い当たるだろう。
これは実際には「因果律の介入を最小化する」と言う意味であるが、極限を取れば同じことだと言える。

その代表例がタルパの創造である。
確かにタルパの創造とて因果律の影響を少なからず受けているわけだが、ここに本質的な独立という条件を課すならば、それは因果的機序によっては説明できないわけだ。即ち因果律の外にあるのである。

次に因果的機序が先行する場合。
明らかに、簡単に思い当たるような日常的な現象は因果律が先行している。それはタルパが本質的に独立していると考えても、そうだと言えるだろう。
つまり、日常で把握されるタルパは常にこの形態をとる。
このブログでは日常的なタルパを維持されているものと表現してきたが、これはタルパが因果律に従うことと同義である。

このとき、実体に対するメタ解釈によって特定の現象が特定のタルパにのみ起こると仮定されるならば、その範囲を軸として定めることで固有的機序における完全な独立を実現できる。
するとここに因果的機序の射影としての固有的機序が見出されるのである。

以上が因果的機序と固有的機序の解釈の違いだ。
一方から他方を見た際の解釈から分かる通り、それはどちらか片方の機序だけでは説明のつかない現象であると言わざるを得ない。
実体とは、ある対象をタルパ機械論によって扱う際の目的の事であるが、ある単一の目的によってその対象の全てを把握することは難しいことが明らかとなっただろう。

実際、圏論においては全ての圏の圏は厳密には圏ではないのである。
集合としての副体がそうであったように、実体にも同じ理屈が適用できる。



§2 タルパにとっての副体

ここでは、最初に挙げた記事を順番に辿ることにする。
が、その前に副体と情報の違いを説明しておきたい。
これは理論的には明らかとなったが、タルパにとってのどんな概念に当たるかは具体的な例が不足していたかもしれない。

このブログで会話オート化、視・聴覚化、動作のオート化、その他いわゆる広義のオート化と表現されているものは、全て副体に当たる。
タルパは個別的な考察によってこれらの副体に分解され、他者との関わりを論じることが出来るようになる。

そして実際に他者と関わる行為である干渉によって、タルパの持つ情報がやり取りされるのである。
ここで言う情報とは、タルパが各種オート化によって他者に開示する表現であると、治療学に書かれている通りである。即ち会話オート化なら会話の内容、視覚化なら姿形のことを指す。
このような概念がそのまま機械論の情報に対応している。

またタルパーがこの表現を適切な形(会話や視覚など)で受け取ることが出来るのは、副体の軸の一致によって保証されている。ただしその軸を持つ副体そのものは、全く異なる可能性がある点には注意が必要だ。
例えば副体A={r,s,t}、副体B={r,α,β}とでは異なる副体であるが、軸rで表現される情報のやり取りは可能なのである。
このことに疑いを持つならば、それは副体と情報のどちらか片方、要するに表面的な部分しか考察できていないのである。おそらく、そのような人にとっては未知であるもう片方の概念が、全く謎に包まれたもののように映るだろう。

タルパが複数の副体として捉えられるならば、純粋に集合論的に考えれば、副体の集合はそのタルパ自身を表す副体と解釈できる。
副体である軸の集合が、抽象化されて1つの軸となるのである。この場合、この軸が扱う情報もまた相応に抽象化される。

読者は、この抽象化を理解できるだろうか。
例えば会話オート化と視覚化のみ進んでいるタルパ自体を副体と捉えるとき、そのタルパ自体との干渉によってやり取りされる情報そのものは、会話や姿形ではないのである。
会話や姿形によってタルパを捉えるとき、タルパ自身を捉えてはいないのだ!

軸の集合を要素として持つ副体は、おそらく人間が感覚的に理解できる範疇を容易に越えるのだろう。

このことについて極端な場合、つまり単一のオート化のみで構成されるタルパについて考えても、事情は変わらない。それは副体A={{r,s}}のように表されるが、これが扱う情報とは何なのだろうか。
従って、先の結論は確かに一般的な考察から導かれている。
タルパそのものについて考察する際、常にこの結論を持ち出してその材料とすることが出来る。

もっとも、このような人為的な概念が個別具体的な概念に対応することは滅多にないだろう。
ただし意図的にそうする場合を除くという但し書きがつく。

ある副体が他の副体のある種の集合として明確に理解され得る場合、あるいは考察の方向性として最初からそのように構成する場合、ここで述べた結論はその考察に一段踏み込んだ理解を与えるはずだ。

一例として、会話オート化個別言語のオート化の関係が挙げられる。
会話オート化と言っても、これは当然ながら日本語によるコミュニケーションのみを意味するわけではない。英語でも中国語でも、同様の概念が全く同様に存在するのである。
すると、会話オート化は個別言語のオート化の集合として構成することが可能である。
このようにして作られた会話オート化の扱う情報は、個別言語とは全く異なる抽象的なものであるのは当然だ。



§2.1 情報の作用

最初は情報の作用を特殊な場合と解釈していたが、タルパに関する考察では作用が見出されるのが普通だ。
そうでない場合というのは、およそ不連続的な副体を扱う場合に限られる。

タルパの姿形を表す副体それを視覚情報として受け取るタルパーの副体は同じ空間上に存在するとは限らないが、干渉は成り立つ。
前者が副体A={r,s}、後者が副体B={α,β}のような状況であるが、単にこれらを媒介する副体C={r,α}があると考えれば良い。

このとき副体A,B上の情報は副体Cで表される空間上の異なる位置に物理的に存在していると考えられる。
干渉が情報レベルで成立するためには、必然的に副体C上の空間に情報の作用を導入せねばならない。

わざわざ機械論的に考えずとも、これは現実的な問題として理解できる。
タルパの姿形が視覚情報と見なされ、周囲の空間を光としての情報の作用、即ち光子の運動によって、その空間上の別の位置に存在するタルパーの視覚器に干渉する。

空間という連続的な副体について考えるならば、情報の作用は必然的に見出されることは明白である。
少し考察すれば、特に干渉場では全くその通りであることが分かる。実際、先の例での副体Cは干渉場としても解釈できるのだ。
...ところで、ここでは光子の運動がどのような作用として記述されるかは問題ではないから、ここで量子力学などを持ち出すのは専ら個別的な考察にあたる。



§2.2 連続性と設定について

これは治療学において元からタルパに関連づけられていた概念であるから、タルパへの適用は容易である。
例えば、タルパの姿形には明らかに連続性がある。具体的な情報、この場合はタルパがどんな姿勢を取っているかによって情報が変わってくるのだが、それらはタルパの姿形という同じ意味を表している。
これは位相幾何学における物体の捉え方に似ているだろう?機械論が連続性を位相によって定義しているのは、この例えから類推されたのだ。

異なる情報の間に共通な意味が見出せるなら、その副体には連続性があると解釈できるのであった。
これは副体に一般的な性質であるから、他のどのような副体にも当てはまる。

さて、ここで問題にしたいのは、タルパの設定との関係性についてだ。

実際に設定を文書化したことのあるタルパーには分かっていただけるだろうが、設定とはおよそ不連続なものなのである。
こういう会話にはこう返す、この方向から見ればこう映るなどといった設定を作ることは出来ても、設定自体は連続性を持たない。
だから、設定から導かれるタルパの副体実際のタルパの副体は異なるのだ。

しかし人間の感覚器官に対応する副体についての設定であれば、連続的な設定を与えることが出来る。
姿形なら3Dモデルを作ってみればよい。それは連続性を持った設定であると言えるだろう。
もっとも、これは設定そのものではなく、むしろ実際の副体の射影だと解釈できる。

次のような言い方をすれば、タルパ自身設定とを明確に分けることが出来る。
即ち、不連続的な副体によって表される情報を文書化したものが設定なのである。
何か一つでも連続的な副体があれば、それは紛れもなくタルパ自身を指す。
何故ならば...副体の連続性というのは、副体の性質のみによってその具体的な表し方が定まるわけではないからだ。

どのタルパでも、その姿形は視覚に干渉するという共通の性質を持っているが、それらが持つ情報は全く異なる。
当然ながら、その情報に見出される連続性が表す意味もまた異なるのである。

では一体、その連続性が表す意味を何が定めたのだろうか。



§2.3 情報の変化と設定のズレについて

これもまた、元はタルパーにとって日常的な現象である設定のズレから抽出された概念である。

治療学では原理として扱われていたが、この解釈も妥当ではある。情報の変化が問題にならないのは、連続的な副体で連続的な作用が存在し、作用がその空間を始域と終域にとる全単射写像である場合という極めて限定的な場合でしかない。
この場合、この副体は単に連続的である以上の意味を持つことになる。
実際のタルパとの干渉において、ここまで明確な作用は普通見出されない。

機械論で初めて連続性と関係づけて論じられた。連続性と関係するということは、客観性の関係も含むということだ。
これによって、一般的な問題に踏み入れることが出来る。

異なるタルパーのタルパ間の干渉がその一例だ。この場合はA,Bというタルパーがいるとき、Aのタルパ→A→B→Bのタルパ、という過程を経る。
この際、個別具体的にはその間に複数の経路が考えられるだろう。

タルパーとタルパの間では、主にそれぞれのオート化の進行具合によって、経路の種類は影響を受ける。聴覚化していないタルパの聴覚情報そのものを受け取ることは出来ない。

タルパー間では、現実にどのような干渉が可能かによって経路は影響を受ける。
無論こちらの場合でもタルパとの間に考えたようなオート化による影響を考えることが出来る。
これは、単なる机上の空論だろうか?
もしそう言うならば、五感に対してほぼオート化したタルパと、生身の人間とでは何かが違うとでも言うのだろうか。

実際のところ、オート化は感覚器官以外の一般的な領域にも適用されるのだ。
これまでの考察のまとめとして、オート化と機械論の概念との関連について見ていく。



§3 タルパ機械論におけるオート化

感覚化理論の記事では、副体とオート化が1対1で対応するとされていた。
これは意味的には正しい。ただ、形式的には明らかに異なる。

先に§2.2で考えた設定の不連続性によれば、オート化していない状態がまず不連続的な副体に対応する。
一方でオート化した状態別の連続的な副体に対応するのである。
しかし、因果的機序では不連続な副体が連続な副体に変化することは認められない。
不連続な副体の中に連続的になることが可能である要素があったのだ、などと主張しても、それは副体に連続性を仮定することと完全に等しいのである。

要するにタルパ機械論において、オート化とは互いに明確に分けられるいくつかの要素から成る複合的な概念であると解釈できる。
いくつかと言うのも、因果的機序ではある連続性が別の連続性に変化することが、無制限に認められているわけではないから、常に不連続的な副体と連続的な副体の2つとは限らない。
直観的な言い方をすれば、その変化の前後を結ぶ自然な変換が見出されねばならないと言い換えられる。

ここからは推測の域であって、確信のある考察ではないが、オート化がどれだけの要素に分けられるかはその副体がどれだけ主観的かに左右される傾向があるのではないか。
主観的であると言う概念を持ち出したということは、つまりオート化とは副体間の関係性として成り立つ概念であることを示している。

個別具体的な例を示せば、いわゆる感覚から概念的に遠い副体であるほど、その副体のオート化は多くの要素に分けられることになる。
概念的に遠いとは感覚から見て多くの副体との干渉を経るという意味である。

さらに個別的な例を挙げるとすると、創発による副体の複雑性という概念にも当てはまることが分かる。
複雑であればあるほど多くの要素に分けられるというのは、直観的には非常に理解しやすい関係性だ!

以上の考察をまとめると、オート化とは複数の異なる連続性を持つ副体に対する現象の総称だと言える。
オート化に対する古典的な解釈では、オート化の進行具合に対応する副体が全順序的に並ぶだろう。つまり不連続的なものから連続的なものに至る経路は1つしかない。
しかしタルパによって会話オート化の方向性は異なるのであって、そう考えるとオート化について副体は半順序を成すのである。

ところでオート化が先に挙げた定義に従うとすれば、オート化自体に1対1で対応する何か別の要素があるのだと考えたくなる。
しかし、そうすることは出来ない。

オート化とは副体の関係性についての概念なのだから、理論的には1つのオート化を他のあらゆる副体から考えることが出来る。
そして、それらの副体から見たオート化に対応する副体の集合は、それぞれ異なるのである。
結局それは可能なすべての副体を取らねばならないことを示している。
そう考えると、オート化の方向性そのものは副体というよりむしろ実体に関連する概念であると解釈するのが適切なのだ。

あるオート化をある副体から見るとき、もっぱらその関係性だけがオート化に関する個別的な考察として意味を持つのである。

ここからさらに固有的機序を絡めた話を展開することも可能であるが、それは後の記事に譲ることにする。



後記

この後は実体との関連について触れようと思ったが、既存概念で実体に相当するものが存在しないことに気づかされた。
オート化は実体にも関係しているが、それはオート化に関する新たな事実を指摘したまでである。

おそらく、タルパ機械論にとって実体とは強力な武器なのではなかろうか。
副体と情報がある現実にとっての二元的な要素をうまく統一しているように、実体と副体は現実から生まれる世界全体その個々の側面とを統一しているのである。

以降の考察では具体的な問題に積極的に絡みつつ、一般的抽象的な考察は適度に挟む程度にしたい。
それにしても、ここで展開した考察は最も基本的な応用例として何度も引用されることになるだろう。
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