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これまでの記事で、実体が副体に対して持つところの意義が幾分示されたと思う。
ただこれまで扱った実体はほとんど因果的機序で、実体が単独で持つ意義については触れられていないので、この記事では理論の目的そのものと実体との関連について少々詳しく説明したい。



§1 実体が副体に対して持つ意義

因果的機序では因果律が副体に対する操作を規定していた。
例えばある副体に軸を追加することは、因果的機序では認められない。
しかし軸を追加するという操作自体は、集合論的な考え方と矛盾するわけではない。

即ち実体とは副体に対する操作を規定(制限)するといった役割を持つのであるが、このような規定は副体から導くことは出来ない。そういう意味で副体にとって実体は自身の外から与えられるものであると言える。

一方で副体における干渉や作用といった一般的な概念は、実体の規定の影響を受けて、それぞれが異なる個別的な概念を形成する。
ここで2つの異なる機序を持つ実体についてのみ考えるとき、それらが副体の領域に形成する個別的な概念は全く異なる様相を呈するだろう。
実体はそれ自身についてのみ考えるとき、一切の構造は見出されないのである。
必然的に、実体そのものを図や言葉などの方法でその構造を表すことは出来ない。
(図や言葉などで表すということは、副体によって表すこととまさに同義である。何故なら、図や言葉で表せるならそれに対応する副体が存在するはずだからだ。)

ある2つの異なる機序を比較して論じるとき、それは専ら実体から見出される副体の構造に着目しているのである。
このことは一般的に、実体の機序は副体の構造に反映されるとも言える。

つまり、異なる実体が同じ構造に反映されることが問題でなければ、実体は副体の構造に対応する。
具体的に言えば、実体によって可能な副体とそれらの間の可能な操作で表される構造に対応しているのである。

ところでこのような考え方に従えば、先の記事で挙げた固有的機序はその他の機序に対して一種独特な意義を持っていることが分かるだろう。
因果的機序や選択的機序は可能な操作に制約を加えるものであるが、固有的機序は可能な副体に対して制約を加えるのである。
この差異が何を意味するかは、後々明らかになる。

固有的機序は以前の記事でも触れた通り、副体の実体レベルでの独立を表すのに都合がいいのだが、次の一点についてはこの段階でも述べておく必要がある。
固有的機序によれば、副体自体が複数の種類に分けられるのだ。

これは単に視覚や聴覚に対応する副体として分かれているという意味とは根本的に異なる。
可能な副体全体が機序によっていくつかに分かれていて、それらの間に全く独立に可能な操作が付随するのである。
例えば複数のタルパを固有的機序によって独立に捉えるとき、その個々の関係性は他とは独立に決まるだろう。
ここでいくつかに分かれる可能な副体は、実体を据える際には既に明白に与えられていなければならない。でなければ実体を唯一に決定することが出来ないからだ。これを認める考察には意味がない。

また、逆に異なる実体が同じ目的に対応することはない。
ある定まった目的があるならば、それを理論体系として実現する可能な副体が成す構造はただ一つに定まる。
もしこれが二つ以上見出されるなら、一体何が、このどちらかであることを定めるのだろうか?

以上で至極簡単にではあるが、実体が副体に対して持つ意義を説明し得たと思う。
これによれば、目的を表す実体から可能な副体を表す実体に視点を変えれば、それを可能な副体と可能な操作とが成す構造によって一意に表すことが出来ると言える。
そして、この構造は既に知られている数学的構造によって定義することが可能なのである。



§2 実体圏

連関実在論は実体・副体を全て圏によって表す試みだった。
統一理論"連関実在論"と数式化の抱える問題

その中で「感覚についての圏の対象は集合である」という記述があったが、この記事の内容を踏まえれば、それは集合として扱ってしまった方が楽なのだ。
即ちタルパ機械論は副体を全て集合として取り扱い、その目的に対応する実体をとすることで、実体と副体の関係性を一層明確に表しているのである。
というか連関実在論における実体は明らかに固有的機序そのものであり、治療学的な理解を脱していない。

以下では実体が圏であること圏でなければならないことを証明する。
この2つによって実体が圏そのものであることが示されるから、これを実体圏と呼ぶことにする。

まず先の記述から分かるように、可能な副体対象に、可能な操作に対応するのである。この射の始域と終域は、操作の前後にそれぞれ対応する副体である。また必然的に、射の合成は自明である。
恒等射は何もしない操作に当たる。何もしない操作はどのような実体についても認められると言えるから、この仮定は妥当である。

後は射の合成についての結合律と単位元の存在を示せばよいが、一つ問題がある。
ここで、射はどの程度具体的に定められていると考えてよいのだろうか?
別の言い方をすれば、もし実体が副体に属する情報を考慮するのであれば、実体圏の射について情報を考慮する必要があるか?
これは、その通りなのである。実体圏という概念は銀の弾丸ではない。

従って、ここで実体圏として定める概念は最も一般的な場合である。個別的な概念は副体上でも考察出来る。
では改めて結合律と単位元の存在を見ていく。

cod(f) = dom(g)、cod(g) = dom(h)であるような射f,g,hについて、 h(gf) = (hg)f は成り立つか?
射は一般的な定義、即ち軸の関係のみによって定められているから、このようなf,g,hの間には常に結合律は成り立つと解釈できる。
もっとも、このことは自明だと言っていいだろう。

単位元についても、恒等射が同一の軸における副体間の何もしない操作であることを考えれば、任意の射 f : A → B について f・1_A = f、1_B・f = f となる恒等射1_A,1_Bが存在し、これは明らかに単位元である。

以上で、実体が圏を成すことは確認された。

それにしても、実体圏の対象については一つ疑問が残る。対象は可能な副体そのものであるが、これがただ一つならば副体ではないのだろうか?
副体は集合で表されるから、可能な副体全ての集合を取れば、それは可能な副体を表す副体として扱えるのではないだろうか?
これは要素が集合であるような集合である。つまり一つの要素はある空間に対応しているから、それを抽象的な軸として持つ副体であると考えられる。

実は、このような可能な副体そのものは副体ではないのだ。
副体の軸はどのような抽象的な定義も認められていることを考えれば、ある既存の軸に任意の性質・情報を付け加えて別の軸を作ることが出来ることから、これを示すのは容易である。

ある副体 A0={r0} から別の軸を作って、副体 A1={r1} を定める。
このようにすれば副体を順序数に対応させる写像を定めることが出来るが、副体はすぐに全ての順序数に対応することが分かる。
副体 Aω={rω} について、自身の持つ軸を1つの空間と見なして抽象化した軸 {rω} を持つ副体 S(Aω)={ {rω} } を作ることが出来て、これは副体Aωとは異なることから明らかである。

可能な副体から全ての順序数へ1対1で対応づけられるため、可能な副体は集合ではない(このことは「集合として扱うには大きすぎる」と表現される。)
必然的に可能な副体は副体ではない
従って、このような可能な副体は実体圏によってしか表現できない

副体がある種の極限で実体と関連するケースについては治療学でも考察していたが、これがその最終的な答えになるだろう。
僕はこの事実を指摘するために、この記事を書いたのだ。



§2.1 公理としての圏論

ここでも副体にとっての集合論がそうであったように、実体にとっての圏論が公理的な意味を持っていることに注意しなければならない。
圏論が実体を定めるのではなく、圏論上で適切に構成された概念が実体を定めるのである。

例えば、実体圏の類似性は圏同型によっても圏同値によっても扱えるだろう。
この場合、実体圏の類似性という概念が表す意味を慎重に考量して、それが圏論のどのような概念に当てはまるのかを逐一確認しなければならないのだ。
だから、圏論ではよく知られた概念が、実体圏にとっては何ら有意義な定義を与えないこともあるだろう。

圏同型は非常に強く条件づけられていて、ある2つの実体圏が圏同型であるならば間違いなく同じ構造を持つと言える。
固有的機序を持つ2つの実体が圏同型であると言えるのは、(それがタルパごとに独立を定めているとして)対象であるタルパが他方のタルパに1対1で対応し、射であるそれらの関係性も他方のタルパ間の関係性に1対1で対応するような関係が見出される場合のみである。

一方で圏同値は圏同型より一般的な概念だが、タルパという概念についての自然変換を定める必要がある。それはタルパに固有的機序を持ち込む目的から導くことが出来るだろうか?

これは是非とも読者自身の事情に置き換えて考えてみてほしい。
自分のタルパがいくつかの要素に分解できたとする。その任意の要素を1つずつ別のものに置き換えていく。こうして創られる任意の別のタルパからは、確かに元のタルパを復元することが出来るが、元のタルパとある意味で同じだと言えるか?

これは到底無理な相談だろう。普通は、タルパーにとってタルパはある種最小の構成単位なのである。

それとも、本当にこの例のようにある意味で同じだと言えるか?
ならば、その人の目的に対応する固有的機序の対象はタルパそのものではない別のもの、と言うことである。そのような例は実際いくらか考えられるだろう。
例えば次のような言い換えならば、先の例に感じる違和感は多少なりとも薄れるのではないか。

タルパがそれぞれのダイブ界に対応していると考える。するとそのダイブ界自体はいくつかの要素に分けられるだろう。この要素に対して、先の例と同じことを行う。
そうして出来上がったダイブ界は、元のダイブ界とある意味で同じだと言えるだろうか?
これは、2つのダイブ界がタルパとの対応を、ある意味で同じように保っているかどうかを問うているのだ。

最後に固有的機序と因果的機序の関連性を考察する。
因果的機序における副体について、他とは独立した軸を定めるならば、それは固有的機序と非常に似た状況になる。
実際これらの間には、独立した軸を基準として対象をいくつかの対象に分割するとすれば、明らかに逆関手を構成できる。
つまり、そのような2つの実体は、確かに同じであるのだ。
しかしながら、実際にはある軸が完全に独立していることを保証する方法は無い。その点が固有的機序とは決定的に異なるのである。



§3 実体圏のいくつかの応用

実体は圏として、副体とは独立に論じられる。
これが示されただけでこの記事の目的は達せられたのだが、最後にいくつかの応用例を挙げてみたい。
と言うのも、実体のみで完結する考察は極めて普遍的であり、一見すると何ら関係のない概念の間でも関係性を論じることが可能な場合があるためだ。

副体の保存について

実体を圏として考えれば、すぐさま圏としての関係性についての考察に及ぶだろう。この関係性は、意味的には理論体系が従う目的の関係性に相当する概念である。
しかし、ここで示したいのは具体的な関係の例ではない。

もしある実体に同型(同値)な実体があるとしたら、副体の具体的な状態によらずに、実体を変換することが出来るだろう。
当然これによって副体や副体間の干渉が失われることはない。
つまり副体は同型(同値)な実体への変換について、ある意味では保存されるのである。

このことはタルパにとって一つ重要な意味を持つ法則である。
例えば、元々居たIFをタルパと呼称するケースはよく見られる。これはそのような存在(他にもいくつかあるだろう)に相対する人間の目的についての変換だと言える。

もっとも、IFからタルパへの変換がすぐさま圏同値などの概念に置き換わるわけではない。
何故ならそれらの存在に相対する目的は人ごとに異なるであろうから、その共通な部分について圏同値などが定義できるならば、それについての副体が保存すると言えるだけである。
そのような部分が存在することは、結局個別的な考察によって確かめられねばならない。

ただし、実体が固有的機序を有する場合には注意が必要である。

普通IFからタルパに変換することを認める場合、その逆もまた認められる。
ここでIF→タルパ→IFという変換を辿る際に、その副体の構造が完全に保存されることを前提とするならば、それには強い同値関係、即ち圏同型によってのみ扱われるということである。

実際のところ、IFからタルパへの変換は圏同型より緩い圏同値によっても成り立つのだ。しかし圏同値は対象としてのタルパについて1対1の対応であることは要求しない。
これは俗的な言い方をすれば、以下のような表現になる。
あるIFやタルパがその本質において独立していることを当然と考えるならば、それらの間の変換はそうでない場合より強く条件づけられねばならない

この結論が具体的に何を意味するかは、ここで取り上げる問題ではない。
むしろこれは、次のように言及する方が意義があるかもしれない。

あるIFやタルパがその本質において独立していることを必要としなければ、比較的緩い条件でそれらを変換することが出来る

あるIFやタルパがその本質において独立していることを必要としないということは、実体が圏としてただ1つの対象を持つことと同義である。

しかし、実際にはこの条件の強弱が問題になることはあまりないかもしれない。
本質的な独立が必要である場合も不要である場合も、実際にはそれぞれの条件を自然に成り立たせるように変換されるであろう。
例えば3人のIFについてその独立を保ったまま2人のタルパに変換するなどということが、現実に主張され得るだろうか?

タルパの創造について

創造というと、いつもこのブログでは決まって特別な扱われ方をしてきた。それは、副体では説明できないからだ。
実体圏と固有的機序を用いれば、これに普遍的な説明を与えることが出来る。

ところで、もしタルパを理論的に扱う場合に固有的機序が不要ならば...つまり先に書いたように、機序による完全な独立が保証されなくて良いならば、タルパの創造は同じ実体によって継続的に扱われる(因果的機序では因果関係によって扱われるなど。)
そうでない場合に、実体圏がどのような働きをするのかを見る必要がある。

最も分かりやすいのは、タルパごとに独立が定められる場合だ。

実体圏の対象の一つ一つがタルパに対応し、それらの間に独立に射が定められる。
このことから既に明らかだが、固有的機序を支持するなら、異なる数のタルパを持つならばその目的(実体)は異なると言える。
そこには新たなタルパを創る余地が無いのである。

もし現実に新たなタルパを創った場合、それ以前と同一の目的によっては扱うことが出来ない。

以上は最も極端な場合の話だ。
現実にはタルパの完全な独立が前提になっている場合はあり得ず、それよりも大きな単位で見るのが普通である。
よって表面的な現実を最も上手く近似するならば、全てのタルパはタルパーを基準とする単位で独立していると考えるのが良い。
それとて独立の説明責任をタルパーに押し付けたに過ぎないが、少なくともタルパに直接に干渉できるタルパーが他に見出されるという極めて例外的な条件以外では成立しているではないか。

このことは固有的機序に関する普遍的な傾向を示している。
タルパをタルパ自身、役割、タルパーなどの単位で完全に独立していると考えることは、独自の実体圏を成し、ゆえに独自の目的を形成する。

また、次のように言うことも可能だ。

そのようなタルパによる独立タルパの新たな発生とを同じ目的によって継続的に扱うことは不可能である。
つまりこの2つの概念は相反しているから、次の結論を得る。
あるタルパーが新たなタルパの発生を許容するような単一の目的を固持するならば、それらのタルパ間の本質的な独立は否定されなければならない

版権タルパ問題との関係について

タルパが固有的機序によって独立性を担保されるとして考察しても、現実にはいくつもの反例が見つかるのである。
その代表的なものが、版権タルパ問題だ。

最初から固有的機序に則ってタルパを創るだけでこの問題を回避できるなら、それほどうまい話はないのだ。
残念ながら、現実はそうではない。

この問題の本質は、理想は固有的機序による独立でありながら、現実には因果的機序による影響を受けているということにある。
しかし、全く異なる実体が同時に2つあるという状態はタルパ機械論においては認められない。

これは、次のように考えれば一応は整合的に解釈できるのである。

ある対象に異なる機序が適用されているように見えるという状態は、言わば2つの異なる現実が対象にそれぞれ影響を与えているのである。
このような影響は、単に実体圏の間の適切な関手とすれば既存の概念によって説明できる。

人間が普段認識している現実は無論、因果的機序である。
タルパを創ることとは、ある特定の人間の中だけで通用する別個の現実を創りだすことだと言えるのだ。



後記

ここでは固有的機序を中心として論理を展開した。
他の機序、少なくとも固有的機序としての性質を持たない機序では実体圏の対象は唯一に定まるのであり、それらの間にはおそらく適当で、かつ直観的な自然変換が見出され得るだろう。
このことは、そのような機序(固有的機序としての性質を持たない機序)においてなら、異なるタルパーによって創られた複数のタルパ間にも何らかの関係性が見出されることを意味している。
当然ながら、そのような場合では副体における関係性、即ち干渉を考察することが出来る。

随分と散らかしっぱなしな気もするが、実体について論じるのは一旦ここまでとしておく。
圏としての実体の考察は始まったばかりだ。どのような概念が、どのような現実を説明するのか、まだほんの少ししか明らかになっていない。
これからの考察によって今ここで述べたことが一通り明らかになるまでは、実体圏のアイデアは単なる幻想の域を抜けないのである。

さて、次回からはいよいよタルパへの本格的な応用が始まる。

早速会話オート化や視覚化を扱いたいところだが、その前にやるべきことが山積している。
まずはタルパの最も一般的な特徴について考察し、これをいくつかの軸として定めることになるだろう。そのような軸の間の干渉などの関係性が明らかになれば、ようやくタルパを単一に扱う実体圏が定められるということだ。

実際のところ、そのような実体圏を見出すことは非常に難しく、タルパ機械論の最終目的であるとさえ言えるだろう。
それまでは気の向くままに寄り道しつつ、タルパ研究を続けるのである。
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