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読書百遍 其義自見
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本題に入る前に、今後のタルパ機械論における考察の方針を明らかにしておこう。

機械論は一般的な場合も個別的な場合も扱うことが出来るが、当面の間は一般的な考察をしたいと思う。
無論、最初から個別的な考察を行うことも可能だが、これに方向性を与えるものとしての一般的な概念をまずは明らかにしたいのである。

途中に個別的な考察を挟むこともあるだろうが、それは「本質は個別的ではあるが、一般的だと見なされている」概念について、誤解を避けるために触れざるを得ない場合に限りたい。
またこのような場合においては、常に一般的な概念を参照して、これに確かに従っていることをその都度説明したい。
要するに、タルパにとって例外的な(しかし良く発生する)事象として受け取られている概念も、一般的な概念によって整合的に解釈できることを確認したいのだ。



§1 干渉の流れ

前回の記事では副体や干渉,干渉場などの一般的な概念を定義したが、肝心な内容について全く触れていなかった。
干渉はどうやって副体間で情報をやり取りするのか?ということだ。
副体における情報は、軸を集合として解釈した場合の要素として定義されている。これは情報が定性的な場合でも近似的には同様に解釈できるから、干渉による情報のやり取りについても明確なイメージを示せるのではないか?
実際のところ、これは干渉場による1対多の干渉を扱う際に極めて重要な概念となるから、ここで明らかにしなければならない。

まずは二者間の干渉について見てみよう。と言ってもあくまでも一般的な概念は干渉場であって、この特殊な例として、即ち干渉場に二者の副体しか存在しない場合として解釈される。

このイメージを機械論の言葉に置き換える。
すると一例として「副体A={r,s}が、干渉場X={r,s}を通して、副体B={r,s}に干渉する」という一連の表現が挙げられる。
副体や干渉場の一般的な性質から、次の2つの言明は常に正しい。
I. 副体Aが軸r,sに持つ情報は、同時に干渉場Xの同じ位置に存在する。副体Bについても同様。
II. 軸r,s上の作用は、この軸で表される全ての空間上に対して同様に適用される。
したがって、次の結論を導き出せるだろう。
III. 副体A,B上の情報の作用は干渉場X上の同じ位置の情報の作用と同様である。
IV. 副体では情報の性質の作用によってそれぞれが一定の情報を保持するが、これは干渉場においても同様であるから、干渉場X上では副体A,B上の情報が区別されず作用すると解釈できる。
V. このとき干渉場X上で副体Aの情報への作用が副体Bの情報を規定することが考えられる。逆も同様である。
この文脈における「副体Aの情報への作用が副体Bの情報を規定する」の一文が、つまり干渉のイメージを表している。
副体A,B上では既に情報の性質が作用しているのだから、干渉において生じる作用は専ら干渉場X上の作用のことだと言える。
つまり、干渉とは「同一の軸を持つ副体の情報が干渉場で互いに作用する現象」と解釈できる。

ここで以上の文章を集合論によって表現したいのだが、その前に表記の仕方を共通理解としなければならない概念を整理しよう。



§1.1 副体の物理的な存在としての情報

ところで軸と情報はそれが属する概念の要素として解釈できるが、決定的に異なる点がある。
同等な軸は異なる副体間でも同等だが、同等な情報は異なる副体間では異なるのだ。
だからr ∈ A, s ∈ Bのときrとsが同等の軸ならr = sだが、
ri ∈ r ∈ A, rj ∈ r ∈ Bのときiとjが同じ性質の程度を表す場合でもri = rjは成立しない。

これは、全く同じ情報を持っていても異なる副体に属するならば区別されなければならないことを示している。
そもそも情報とは(こう表現しても良いのならば)副体の物理的な存在を規定しているのだから、当然と言えば当然だ。
例えば全く同じサイコロ2つが存在していても、これらは明らかに別の存在として区別されるだろう。そしてタルパについても同じことが言えるのだ。

情報はそれ単独では存在しないのだから、常にどの副体に属するかを区別して表記されねばならない。
これを (ri,sj)∈A と表すことにする。(ri,sj)∈Aと(ri,sj)∈Bは存在として異なるが、同じ性質の同じ程度の情報を表している。

すると「副体が存在する」における存在と「情報が存在する」における存在の持つニュアンスは異なることになる。
即ち前者は概念的な存在であり、後者は物理的な存在と解釈できる。そして前者は後者を規定する
理論を扱う上で特に問題があるわけではないのだが、文脈上では使い分けに注意せねばならないだろう。



§1.2 情報の作用

次に情報の作用の表現について考えてみる。これは前回の記事では相互作用とも書いていた。
作用という語は今まで曖昧に用いてきたが、今一度定義すると「ある空間において現在の情報が以降の情報を規定する現象」と言えるだろう。

即ち作用は、とりあえず軸によって定まる空間を始域と終域にとる対応として定義できる。とりあえずと言うのも、この定義によって個々の情報に触れようとすると軸を考慮せねばならないため、前回の記事で定義したような仕方では不完全なだけだ。
軸の意味を無視して抽象化して良ければ、複数の軸を1つにまとめられるので(軸は情報の集合なので単に直和を取れば良い)、結局べき集合が作用を関係として表す際の一般的な定義として成り立つ。このことは前回の記事についても同じことが言える。

作用 := { (X,Y) | X,Y ⊂ 2r }

ある情報 (ri,sj) に対する作用の適用は fr,s((ri,sj)) = (rk,sl) と表せる。全ての情報について適用するならば、情報の代わりに軸を代表させて fr,s((r,s)) = (r,s) と書けばよい。
作用は軸の性質によって異なるから、どの軸における作用かが表記される。
しかし情報を軸に代表させる表記には注意が必要である。例えば (ri,sj) は副体がこの情報を持っているという暗黙の前提がある。即ちこの代表である (r,s) とは取り得る情報全体のことではなく、副体が軸r,sに持っている情報全体のことを示す。
要するに、左辺と右辺に現れる (r,s) はそれぞれ異なることもあり得る。


個々の情報については空間上の全ての情報が作用するわけではないから、ここで実際に考慮すべきは ri ∈ X の関係だけである。
ただしそのような場合でもriは複数の要素に含まれているだろうが、一体作用の適用における値域はどうやって情報として定められるのだろうか?
これは少なくとも一般的には決定できない問題であることが分かる。情報の性質の適用、つまり作用が定性的かもしれないのだから当然だ。

一方で、軸の性質が連続的である場合にも別の理由で同じことが言えるのだ。連続的であるということは軸rの集合としての濃度は無限であり、作用を定める関係もまた無限となるからである。
つまり作用後の情報を純粋な数学的操作によって一意に決定できるのは、性質の程度が有限個であり、かつその性質が明確に定義できる場合(作用fが数式として計算可能な場合)に限られる。
実際には、この条件を満たす作用はほとんど見出し得ないだろう。

ところで上の作用の定義は干渉場の文脈において現れたように、作用が定義できる概念は単一の副体以外にも干渉場が該当するが、干渉場上での作用は干渉を表すのであった。
ならば副体上での作用は自分自身に対する干渉と解釈することが出来るのではないか?

感覚化理論によれば、自分自身に対する干渉は常に客観的である。それはこの解釈によっても明らかであるが、これは性質が明確に定義される場合に限られることは言うまでもない。
もしそうでなければ、果たして現在の情報が以降に影響を与える様子を如何にして知り得るのだろうか?

最後に作用と干渉ではどちらが一般的な概念であるかについて触れたい。しかし、この関係性については以上の考察によって明白ではないだろうか?
そもそも干渉の定義自体に作用の概念が現れていて、作用は干渉によらず定義される。
したがって作用の方が一般的な概念であり、特に干渉場におけるものが干渉だと改めて定義できる。



§1.3 干渉のイメージの集合論的表現

この表記法によって以上の附番した文章を集合論によって置き換えると、次のように表せる。

まず理論における自明な事柄として最初の2つ。ここでは軸r,sを軸αに抽象化して、副体が軸αに持つ情報の全体を(α)に代表させる。

I. (α)∈A → (α)∈X , (α)∈B → (α)∈X
II. dom(fα) = α (ただしdom(f)はfの対応としての始集合を表す)

そして以上の考察によって導出できる結論について3つ。

III. fα((α)∈A) → fα((α)∈X) , fα((α)∈B) → fα((α)∈X)
IV. fα((α)∈X) = fα((α)∈A ∪ (α)∈B)
V. ∃i∃j ( fα((αi)∈A) = (αj)∈B )

最後の命題Vが干渉のイメージを直接的に表している。
命題Vには明らかに反例があるが、それは干渉が定められているが、情報の関係上干渉が発生しないという個別的な場合でしかない。
しかしそれとて抽象的に考えれば全くあり得ないわけではないので、結局干渉の定義は軸の対応関係に依るところが大きい。

ここで実際には軸αはこれ以外の副体も持っているかもしれないから、軸αを持つ副体の集合系について考えることでさらに厳密な証明が得られる。



§2 旧来の理論との関係性

旧来の理論、とりわけタルパ治療学感覚化理論は、機械論ほど一般的ではない一方で比較的容易に考察を進めることが出来る。これは理論が適切な条件をあらかじめ前提としているからである。
このような条件を正確に分析するならば機械論においても使用に耐え得るし、何より個別の理論による過去の考察の(肯定的にせよ否定的にせよ何らかの)恩恵に与れるだろう。
そこで機械論に特有の概念を考察する前に、これらの概念の機械論上での定義を明らかにしたい。

旧来の理論と機械論を比較する場合に、まず見過ごしてはならない決定的な違いがある。
治療学や感覚化理論ではその原理を現実的な要素に置いているのに対し、機械論では原理からして抽象的な要素に始まっている。

このような差異によって、理論を使用する考察の方向性は異なる特性を帯びることになる。前者では個別的な場合のおよそ全てに至るのに対し、後者は一般的な場合に至る。
この二者の最も顕著な違いは、後者においては極論でも成立するが、前者はそうではない点だ。
一見すると後者の性質は前者より優れているように思われるが、どちらが最善かは考察の目的による。

個別的な結論を目指すならば、その根拠は前者に求められてよい。むしろ後者のやり方では何一つ個別的な結論を示すことは出来ないのだ。
逆に一般的な結論については、後者のみによって達成される。

すると一般的な性質を示すことに終始する機械論では、個別的な考察を行うために理論にある種の制限を持ち込まねばならない。
この制限はあくまでも一般的な性質を多少抑えるだけで良いのだが、結局それは現実的な要素を考察しない限り得られない見解である。

旧来の理論における概念を機械論に持ち込むことは、いずれ自然な制約を持ち込んでタルパに適用する際に、ある種の基準としての役割を果たすだろう。



§2.1 タルパ治療学における副体、実体

まずは治療学における概念を考察する。
とは言っても既に副体実体については同一の用語を使用している。この2つの概念は既に2年以上の考察実績があり、言葉を借りるだけでも得るところが多かったのだ。
しかし意味としては何かしら異なるように見える。その点を明らかにせねばならない。

治療学において副体とは専ら感覚に対応する物理的な存在を起点として、そこから考察によって抽象化して得られる概念もまた副体であると解釈する。
このような操作によって得られる階層構造は、抽象的な領域における影響が具体的な感覚器官に現れる機構を上手く説明した。

この点についてだけ考えてみれば、機械論の副体と変わるところは無いように思える。
ある2つの副体が1つの副体に抽象化出来るとすれば、この副体間には何らかの共通した性質があると解釈できる。この性質を副体に属する概念とすることで、機械論における副体と形式的には一致する。
もし共通した性質と言う概念を考慮しないならば、結局副体間の干渉を常に個別的に定義せざるを得なくなり、理論に必要な一般性を欠いていただろう。
そうならなかったのは、理論の背景にこのような性質が想定されていたからである。

治療学ではこの一般性を幾何的に担保する手段として、集約分解に無限次元空間のアイデアを持ち込んでいた。
可能なあらゆる性質全体による集約/分解を論じるには、このような空間の仮定が必要になる。

ところで一般性という語は用語としては初出なので、ここで解説しておく。
例えば情報は軸によって定義されるように、機械論が扱う概念には定める・定められるという関係性が明確に存在する。
このことを指して、定める側の概念を一般的な概念、定められる側の概念を個別的な概念と表している。
ここで個別的な概念がさらに何らかの概念を定める場合は、その考察においては一般的な概念に成り代わる。
つまり一般的・個別的はあくまでも相対的な表現であり、この関係性における概念的な位置を一般性という語で表す。

一方で、治療学の初期では感覚に対応するのが副体だとする条件があったが、後期においては抽象的な副体においてもその形式的な役割は変わらないという一般的な認識に達しているため、それはもはや当時の治療学にとってすら本質ではなくなっていた。

このようにして治療学における副体は機械論における副体と形式的には全く同一であり、実は意味的にもあまり変わるところが無いことが分かる。
それどころか副体について軸や情報を明確に定義したことで、むしろ機械論の方が個別的な言及能力は高いと言って良い。

次に実体について考察する。
実体は治療学の初期では存在と解釈されていたが、それでは実体が存在する理由を理論で扱うことが出来ない。
実体が現象と見なされるに至った経緯は複雑だが、結果論で言えばそれが決定的な理由である。

現象としての実体は一存在を規定して実体間の活動を抑制しつつ、副体では説明できない現象に対して一存在間の現象を規定する役割を担う。
これらは機械論における機序から明らかなように、別々の働きであり、これを一つの概念と定義するのは妥当とは言えない。しかしながらこの定義はタルパの一存在としての範囲を規定し、タルパの創造と言う不連続点を補完する仕方のうち最も単純で直感的な概念であるとも言えるのだ。
即ちこの実体の定義は個別的な場合のおよそ全てを説明し、何らかの方法によって機械論の適用を補助するだろう。

改めて機械論の観点から実体の概念を眺めると、これは固有的機序を土台とした選択的機序であると言える。因果的機序における因果関係は、全て副体によって説明されるだろうと踏んでいる。
しかしながら(これは後に詳しく述べるが)オート化とは必然的に副体の自然な発生を伴う現象であり、実体の因果的機序なしに説明できる性質のものではないのだ。

だがこれは治療学の不備を指摘したことにはならない。それは実体を理論が対象を扱う目的に照らし合わせれば明白である。
治療学はタルパの成長過程において発生する種々の問題を解決するために使用されるので、分類的な目的、固有的機序を主目的としている。
この目的において副体の自然的な変化を考慮する必要が無ければ、つまりある瞬間におけるタルパを分析するだけで目的が達成されるのであれば、理論に因果的機序を導入する必要はないのだ。

以上の考察によって、機械論と治療学の実体の差異が明らかになったと思う。
即ち治療学における実体とは、創造点を含む任意の時点で副体の分類的観点から新たな副体を見出す現象であると表現できる。
一方で機械論における実体はこのような使用も可能ではあるが、さらに広い範囲の目的にも適用可能である。

機械論上で治療学的な実体を導入する特別な理由があるとしたら、それはやはり治療学が治療学たるゆえんである、分析的手法に頼る場合である。

最後に、あまり重要ではないが気がかりな問題を解決しておきたい。

治療学では実体の固有的機序によって形式的には区別されても、その実体の性質は変わらないという表現があった。(治療学3時限目を参照)
これについても、機械論の視点に立てば明確に証明し得る。

区別された実体がそれぞれ個別の性質を帯びるのは副体と実体が因果性を保つ場合のみであり、この解釈が可能なのは因果的機序を考慮する場合に限る。
先に触れたとおり、治療学では因果的機序を考慮していない。治療学における実体は区別されているが個別の性質を帯びていないのである。
そういう意味で、治療学における記述は正しい。

この実体についての考察によって、実体は理論の目的と密接な関係にあることが明確になったと思う。むしろ実体は目的そのものだと言ってもいいくらいだ。



§2.2 副体の連続性

副体の連続性とは、副体が持つ軸の性質についての連続性のことである。
ここで言う連続性とは旧来の諸理論特有のものではなく、例えばε-δ論法などによって扱われるその連続性のイメージそのものである。
機械論は集合論によって定式化されたのだから、この場合は位相によって扱うのが適当だろう。
従って、連続性を持つことが明らかと言える性質には少なくとも自然な位相を見出すことは可能であるから、これを連続性の1つの定義と認めることにする。
またこの定義の逆となる副体に連続性を見出すことの意義についても同様である。

結局、連続性を見出すことは自然な位相を見出すことと同義であるから、作用や干渉に何らかの意味を持たせた考察が可能となるのだ。これが機械論による考察にとって極めて重要な方針であることは説明するまでもないだろう。

この概念についても例に漏れず、個別的な場合を扱うためには個別的な場合のおよそ全てに当てはまる定義を別に必要とするが、その前に適当な条件を見つける必要がある。

後期の感覚化理論以前は「客観的な干渉が存在する」⇔「副体は連続性を持つ」という関係性は正しかった。
その唯一の反例は、現在においては一層確かに証明し得るが、自分自身への干渉は副体が連続性を持つかに関わらず常に客観的であることだ。
即ちこの2つの命題は同等ではなく、一般的には「副体は連続性を持つ」⇒「客観的な干渉が存在する」という関係にあるのだ。
実際このように解釈すれば、先の例とも矛盾しないことが分かる。

逆に言えばこの命題を同等と解釈するには、自分自身への干渉は考えないという制約を課すだけで良い。
そしてこの制約は、他者との干渉が考察の主題となる限り適切な制約であると言える。

ところで干渉は一般的な領域においても軸の一致する具合に応じて複数存在するのが通常であるが、ここで先の命題がある干渉について成立すればよいのか、全ての干渉について成立せねばならないのか、明確でないことが分かる。
しかし副体が連続性を持つというのは副体に関する特定の状態であり、複数の場合にそれぞれ異なる状態を持つことは考えられない。つまり、ある干渉によって副体が連続性を持つと言えるならば、その他の場合にも一般的には連続性を持っていると解釈しなければならない。これは逆も同様である。
一般的にはと言うのは、ここで考察している連続性は軸の性質のことであるが、個別的には情報の作用についても言い得るからだ。

よって連続性の個別的な場合のおよそ全てに通用する定義は、客観的な干渉を定められることであると言える。これについては個別的には逆も同様であるが、一般的にはそうとは言えない。
この結論によって個別的な考察が可能となれば良いが、客観的な干渉とは何も(通常の意味における)具体的な空間上である必要はない。また、その場合には人間における定義がタルパにおいて通用するか不明であることが個別的な考察を妨げるだろう。
これを明らかとするには、客観的な干渉を定め得ることをさらに定義づける必要がある。

しかしながら、これ以上定義の一般性を保持したまま論理を展開するのは困難が伴う。
そこで客観的な干渉が表す意味、即ち感覚化理論において感覚と表していた概念を利用したいと思うのである。
ある干渉が感覚によって定められるならば、その干渉は客観的だと考えられる。
客観的な干渉から考えるより、感覚について考える方が直感的であるのは理解していただけるだろう。

以上の考察によれば、その論理的帰結は「感覚が定められる」⇒「自然な位相が見出される」⇒「客観的な干渉が定められる」となり、連続性と言う概念はその正当性を論者の考察に依託すると解釈できる。するとここに必然的な近似が現れるのだが、これを連続性の定義の一般性が僅かであるにせよ崩れる要因として認めようというわけである。

これを論者に求められる能力として言い換えれば、論者が感覚について正確な考察を展開している限り、連続性の定義の一般性は保証されると言うことが出来る。
そしてこの言及によって、感覚は連続性の個別的な場合のおよそ全ての定義と見なせるのである。

以上数点の定義について具体的な条件を与えるとすれば、次のとおりである。

連続性の定義に副体が感覚に対応することを適用するならば、感覚を定義することが明らかに認められる場合、要するに人型あるいは一部の動物型タルパに限られるだろう。
一方向的な干渉のみを考察するならば、この定義は適切な条件下で無機物タルパにも適用され得る。

それ以外の場合についてはより一般的に、自然な位相を見出し得るかについて考える必要があり、連続性が定義可能な範囲は広がる。その一方で感覚に対応するという具体性は失われる。

さらに先の場合によっても定義できない場合、最終的には客観的な干渉を定め得るかによって定義される。ここではもはや自然な位相についても仮定出来ず、個別的な考察は一層制限されるだろう。

以上が連続性の定義についての考察である。
改めてこの論理構造の形式的な部分に着目すると、機械論を用いた考察の一連の流れが明確になると思う。

つまり考察の目的に応じて一般的な定義から個別的な場合のおよそ全ての定義を導出し、限界に達した時点で今度は逆に考察の対象となる要素を各々の段階の定義に当てはめていくのである。
このようにして、あらかじめ前提とされる対象についての考察が以降の考察に先立って行われるのだ。



§2.2.1 「位相を定める」という操作

ここで情報の集合である軸に対して位相を定めるという操作について、いくつか明確でない表現があるから、ここで解決しておきたい。

・連続性は「自然な位相」の存在と同等である

自然な位相が見出されるならば、その副体は連続性を持つ。これは定義であるが、このような疑問があるかもしれない。
不連続性を持つ空間に対しても、その性質は集合で表されるのだから、密着位相のような自明な位相によって(ある種極端な)連続性を定義できるのではないか?
しかし密着位相にしても情報全体が表す抽象的な意味という概念を表すのであって、不連続的な情報に対してはこれすら定義できないのであるから、結局不連続的な空間に対して位相は定義できない。
一般的に、「位相を定める」という文脈では専ら自然な位相を意味することに注意する必要がある。

一方で、これは連続的な空間にとっては連続・不連続という概念の間にある種の連続性の概念が存在することを示しており、いかにも尤もらしい観念を作り上げることが出来る。
しかしこのような概念が意義を持つのは、あくまでも連続性を意味的に解釈する場合に限られる。
ここでは連続性を一般的に定義しているのだから、形式的に解釈することに努めなければならない。

位相には強弱の違いがあるが、これが意味を持つのは個別具体的な考察を行う際であって、一般的な考察において違いは無い。
例えば色調の表現は8bitと16bitでは個別的には異なるが、しかし色調を数値の大小によって連続的に表すという形式には何ら異なるところは無いのだ。

先に§2.2で自然な位相のより一般的な定義として客観的な干渉が定められることを挙げていたが、客観的な干渉そのものは連続性によらず定義される(後に詳しく触れる)ため、連続性と客観的な干渉の存在は同等ではない。

・情報が表す意味について

先に述べたように位相は連続性によって見出されるのだが、これは連続的な性質の意味は情報ではなく位相によって表されると解釈できる。
一方で、一般的に不連続的な性質に位相は定義できないのだから、情報自体がその意味を表していると解釈しなければならない。
つまり不連続的な性質においては、情報全体が取り得るパターンのそれぞれに別々の意味が与えられているのだ。

ここで、情報が作用によって僅かに変化した状態を考察してみたい。

この情報の性質が連続性を持つ場合は作用もまた通常は連続的であるから、情報が表す意味は形式的に捉えられる限り一切変化しないだろう。
ならば不連続的な性質では僅かな変化によってもその表す意味は変化すると考えていいのだろうか?

ここが難しいところではあるのだが、そもそも不連続的な性質に僅かな変化という状態は定義し得ないのである。
もしある状態が他のある状態から僅かに変化したと解釈できるならば、その背後に共通する性質があると考えられるが、それは情報の連続性を仮定することに他ならない。

即ち、不連続的な性質では情報の僅かな変化は発生し得ず、従って情報の変化は定義されないのである。

以上は情報の僅かな変化についての考察であるが、実際には連続的な性質にも不連続的な作用は定義され得るから、こちらの場合も一応考慮しなければならない。

しかし、このような作用では連続的な空間においても意味の変化が発生することはもはや明白ではないか?
連続的な空間の不連続的な作用とは位相による定義情報による定義の2つがある。
前者では自明であり、後者でも作用によって位相が保存されない場合はやはり意味が変化すると解釈できるだろう。

ここに挙げた情報の変化のより一般的な意義については後に詳しく触れるが、連続性と作用の関係性はやや複雑なので、以下の4通りの命題を結果としてまとめておく。

「連続的な空間」かつ「連続的な作用」⇒意味は一般的には変化せず、個別的には変化する
「連続的な空間」かつ「不連続的な作用」⇒意味は一般的には変化し、個別的にも変化する
「不連続的な空間」かつ「連続的な作用」⇒定義されない
「不連続的な空間」かつ「不連続的な作用」⇒意味は一般的には変化し、個別的にも変化する

一見してパターンに秩序が見られないのは、連続的な作用と不連続的な作用を同種のものであるかのように扱っているためである。
実際にはこの2つはまったく別種の概念・観念であり、同一視出来るのは純粋に数学上の理由による。

・意味の抽象性

これは専ら個別的な考察に当たるが、しかし日常的に用いられる概念なので、特別に取り上げる必要があるだろう。

まず抽象性の考察に余計な詮索を持ち込まないために、次のことを指摘する。
不連続的な情報には意味の抽象性は定義できないのである。
もしこれが定義されるとしたら、別々の2つの意味が抽象性という繋がりによって連続性を持つと解釈しなければならない。
すると、意味の抽象性については連続性を持つ情報についてのみ考察すれば良く、これは自然な位相の定義を仮定することと同義である。

ところで、位相とは空間の性質を情報の集合と見なして、そのべき集合の適切な部分集合を取ることで定義できる。このとき位相の強弱によって、位相が表す意味の間に包含関係が定義されることが分かる。
これは2つの異なる意味に共通な部分が存在すると解釈できるから、これがまさに意味の抽象性を定義していると言える。

ここからさらに考察を深めることで、次の2つの見解が得られる。
ある情報はその内部に具体性と抽象性を同時に持ち合わせていることと、意味の抽象性についての一般的な定義のことだ。

前者は位相の性質について考えれば明白である。
位相の要素は意味の個別的な部分を表していること、位相の部分集合として別の位相を定義できることを併せれば、ある情報そのものから抽象的な部分と具体的な部分を任意に取り出せることが分かる。

後者は自明な位相の極端な場合である密着位相についての見解である。
密着位相は情報全体の集合を含んでいるから、最も抽象的な意味を表す位相という意味で自明な位相、即ち意味の抽象性の一般的な定義と解釈できる。

ここで一般的と言う表現が成り立つのは、対象とする情報が連続的であるという制約が理論の目的によって、つまり実体の機序によって支持される場合のみであることには注意しなければならない。



§2.2.2 連続性の形式的な定義

「形式的な」というのはつまり「一般的な」という意味なのだが、この場合には前者を用いる方が意図が伝わるだろう。
§2.2では連続性の個別的な定義を挙げるに留めたが、連続性の説明については形式よりも個別的なイメージを重要視した方が連続性という概念が持つニュアンスを理解していただけるだろうと踏んだからである。

連続性とは副体を軸によって定められる空間として見た場合に、いくらでも小さな空間を見出すことが出来る性質を指す概念である。
「小さな」というのは、相対的に「大きい」集合の部分集合であることを意味する。ここではある1つの情報だけの集合は空間とは見なされない。

この条件によれば、連続性の形式的な定義が明らかとなるだろう。
即ち、情報の集合としての軸が無限集合である場合を指すのである。より正確には、軸が連続体濃度を持つ集合である場合と言える。
連続性の概念は今までの理論で必ずと言っていいほど触れていたが、結局はその全てがこの形式的な定義を支持していることが分かる。

この定義は純粋に集合の性質だけから導かれるため、先に§2.2に挙げた少なくとも自然な位相を見出すことは可能という定義よりは一般的である。
よって連続性に関する概念は、客観的な干渉が存在する→連続性の一般的な定義→連続性の位相による定義、という順に定められる関係にある。
これを逆に辿ると、論理的帰結を示す関係を導くことが出来る。

ここから考えるに、§2.2で挙げた自分自身への干渉は常に客観的であるという考察には連続性の概念は一切関係が無いと言えるのだが、これを示しておくことは重要だろう。
今まで客観的な干渉と連続性の概念は同時に扱われてきたが、それは連続性の概念が考察の中心を占めていたからであって、客観的な干渉という概念自体はそもそも連続性を前提としないのである。

ところで連続性は一般的な条件(軸が無限集合であること)を満たさない場合にも、個別的な条件(軸の間の関係)によって定義される場合がある。
これまで一般的な条件を不問としたのは、このような一見矛盾のように見える関係性の解釈を後に持ち越すためであった。
即ち、軸が無限集合であるというのはそう解釈できることを指すのであって、一般的な概念(情報の集合としての軸)について直接的な定義を要するわけではないのだ。

そのようにして軸の連続性が定められる場合は後に触れることにして、ここでは一般的に連続性が定義されないことについて、箇条書き程度に述べておく。

・情報の集合としての軸が可算集合である
・軸について個別的な関係が定義されない

この2つの条件を満たす軸は明らかに不連続的である。
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