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読書百遍 其義自見
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どこから話しましょうか...

連関実在論はその抽象性からを用いて定義されましたが、そこまでやる必要がないことは当時も触れていました。そこで2016年に入ってから集合論を土台として理論の構築を進めていましたが、これではやや不足があることに気づかされます。
色々説明できないことがあるんですよ。具体例を考えるほど、理論の不備が明らかになってきました。
そこで、副体にパラメータを定めた構造体によって定義する方向性にシフトしていきました。これが去年4月までの研究内容。
このパラメータによって、まずは先行理論における構成要素を改めて定義していきたいのです。
まずはこのような考え方が必要になった背景について。そして、具体的にパラメータがどういう姿で理論に組み込まれるのか。

そして、理論の名称もここで決めておきたい。「連関実在論」は理論の思想の哲学的側面を表しているが、これでは端的に言って分かりにくい。
今後は理論を形成する手段を表すために「タルパ機械論」と称する。
副体によって機械的に表現できるものには例外なくこの手段を用いるのが理論の思想であり、実体はあくまでも合目的的な場合に限り論者が理論に持ち込むことが出来る制約事項だと考えるのだ。



§1 「基準」の所在

例えば、感覚化理論における概念感覚表出感覚が単なる値の集合であることについて考えてみよう。
これらは互いに結びつくことで、自身の持つ情報をやり取りすることができるとされていたが、現実的には結びつきやすさという指標があることが分かる。

タルパーにとって最も身近な例でいえば、会話オート化と聴覚化だろう。無意識的にそうなってしまうほど、会話オート化は聴覚化に結び付きやすい。一方で触覚化とはもはや何の関係もないと言っていいだろう。
一体、この違いはどこで生まれているのだろうか?
過去の治療学の記事を引用するならば、このような表現に置き換えることができる。

「概念同士を結び付ける経験的な自明さは、何を基準にして構成されるのか?」

ある感覚が受け取る情報は単なる値の集合であるという前提から、それがどの実体に由来するのかもはや区別できない。つまり、実体が関与する可能性は完全に排除できる。
こうなると、感覚自体が別の感覚との結びつきやすさの基準を持っているという仮定が一見上手くいくように見える。

ところが、ちょっと待った。
ある2つの感覚同士について常に基準を定められるという法則が成り立つと、やはり現実と符合しないように感じるのだ。
例えば、全く見識の無いタルパー同士のタルパの感覚間でも、既に基準が定まっていると言えるのだろうか?相手がどんな感覚を持っているか分からないし、人間型か動物型かもハッキリしないのに、常に基準を定められるのはおかしい。
逆の考え方をすれば、基準が定められたということは相手側の感覚についてのメタ知識を知り得たということになる。現実的にそのようなことが可能だろうか?

ここで「基準が存在する」という表現を使ってはならない。現実はどうあるにせよ、理論では全ての感覚間の干渉を考えられるのだから、何かしらの基準が常に存在するのは自明だ。
問題になっているのは、基準自体から(あるいは基準から演繹的に考えて)常に結びつきやすさを得られるか?ということである。
このことを指して、ここでは「基準が定まる」と表しておく。


感覚自体が他の感覚についての基準を持ち得ないということは、もはや次のように考える他ない。
つまり感覚自体が基準を持っているが、それは他の感覚からは独立して定義されることにするのだ。互いに独立に持っている基準同士を照らし合わせて、それが結びつきやすさを決定する(あるいは全く決定できないこともあるだろう)。
このような基準がパラメータと呼んでいるものなのだが、一体どんな姿をしているのだろう。



§2 パラメータの正体について

パラメータが結びつきやすさを定めるのだから、パラメータそのものは定量的でなくてはならない。これらの感覚間は別のそれより結びつきやすいといった評価が客観的に出来なければならないのだ。
この条件を満たしていれば、情報がいかに定性的であっても一般的に干渉は成り立つと考えてよい。つまり、理論は情報自体の性質に依存する必要が無くなる。
例えとして上の例で言えば、いくら他人のタルパが自分にとって主観的な存在とはいえ、"それゆえに干渉できない"という判断は客観的に下すことが出来るだろう。

いわゆる連関実在論では情報が定性的であるために、副体を圏として抽象的に定義せざるを得なかった。(実際にはそれでも足りないくらいだった)。しかし情報が伝搬される干渉を定めるパラメータ自体は実のところ定量的に定義できるのだ。
ならば、副体の持つ情報を対象とする代わりに、パラメータを対象として集合論による理論を構成できるではないか!

即ち、パラメータとは何かしらの集合の要素であることがまず分かる。集合の要素であるということは、集合ごとに別個の意味を与えられた数値によって代替することが可能となる。
このことによって、副体は明らかに数式によって定義可能であることが改めて理解できるだろう。
パラメータに対して何かしらの演算が定義できるなら、それはそのまま情報の性質を表していると解釈できるからだ。



§3 情報とパラメータの関係性

次に、副体の持つ情報パラメータとの関係性について明らかにしてみよう。
この2つは副体の構成要素という点である意味では同一のものであり、見方によっては1つの構成要素として捉えることが出来るのではないか。
事実、この2つを極めて整合的に、1つにまとめる手法があるのだ。

ある2つの副体を集約したときに、とたんに抽象的になるケースがあるだろう。これは副体の持つ情報の性質同士に、元々関連性が無かったためだ。
逆に具体性を失わないケースでは、そのような関連性があったと考えることが出来る。

パラメータを「情報の性質を表すいくつかの基準」と解釈すれば、上の例は次のように一般的に解釈できる。
この基準が多く重なっているほど、それらの集約は具体性を保持するのだ。逆は言うまでもないだろう。

そこでパラメータをそのように捉えるなら、個々の基準は情報に対してそれぞれの性質の程度を与えるとも解釈できる。
情報と副体の持つパラメータとを合わせれば、この情報はこの性質があまりないとか、この性質は大きいといった判断が可能となる。
言い換えれば、情報はパラメータに属する関係にある概念だ。

この関係は、ある座標が空間の次元の組で表される様子に似ていないだろうか?
例えば、色はRGBそれぞれの成分の組み合わせで表現される。この場合、RGB自体は色を表す基準であり、個々の基準はそれぞれの色味の濃淡を表している。

このことから副体の情報パラメータは、座標次元のような関係にあることが分かる。
必然的に、副体自体は空間的な広がりを持った存在であることが、改めて理解できると思う。

パラメータと表現すると具体的なイメージが湧きにくいので他の言葉に置き換えたいのだが、次元は一般的過ぎて不適当だろう。
そこで、僕はパラメータのことをと呼ぶことにしている。
副体の情報は、軸によって具体的な性質および具体的な空間が与えられるのだ。

ところで、副体の軸によって空間が与えられると考えると、任意の副体間の干渉は必ず空間を通して行われると解釈できる。
全く異なる軸を持つ副体同士は干渉できない(厳密には「直接的には干渉できない」)という当たり前の事実は、この解釈によっても導くことが出来る。



§3.1 副体の構成要素による干渉の構造化

当たり前と言われればそうなのだが、副体の定義に自然な形で軸が加わるとすると、干渉の定義を見直さざるを得ないだろう。
以前は集約/分解の2操作に限られたが、軸が加わってもこの関係性は成り立っているのだろうか?
この点が少々怪しいので、集合論を適用する前に干渉を再定義しておこう。

まず最も抽象的な考察として、あらゆる副体について干渉を想定できることに変わりはない。
副体は必ず何かしらの情報と軸を持っているのだから、実際に干渉を定義できるかどうかを確認する操作はあらゆる副体に対して行うことが出来る。
一見当然のように見えるが、これを確認しておくことは大事だ。治療学において理論上では副体はあらゆる副体と干渉可能であるという原理には反していない。

次に具体的な面に目を向けると、軸についての操作情報についての操作に分けて考えることが妥当だと言える。

軸については§3で確認したように、情報の性質を定めるものだ。
つまり軸についての操作とは、副体の持つ情報の性質そのものについての操作と言えるだろう。この操作自体によって、情報は変化しない。
別の言い方をすれば、副体の性質についての解釈に対する操作というふうに表現できる。

では情報についての操作とは何だろうか?
軸を考慮していないのだから、この操作自体は性質についての解釈とは関係がないだろう。とすれば、情報自体を変化させる操作と解釈できそうだ。
例えば具体的には「情報の幾何学的な形についての操作」かもしれないし、「情報の取り得る範囲についての操作」かもしれない。

この2つの操作を確認したうえで、それぞれに対して集約/分解の関係性と干渉とを定義していく。

軸に対する操作の場合は明確だろう。
ある副体A,Bについて、Bの軸をAが全て有するなら、BはAの集約に当たる。
同様にして、Aの軸をBが全て有するなら、BはAの分解に当たる。
そして集約/分解関係における干渉とは、共通の軸における干渉のことである。

では情報に対する操作の集約/分解はどのようなものだろうか。
一応、副体は軸によって空間が与えられることを考えれば、その大小によって一般的に定義できそうだ。
具体的な場合にはさらに踏み込んだ定義を与えることも可能だが、情報は定性的な場合があることを考慮すれば、一般的な定義はこれが限界である。
したがって干渉についても、空間と見なした場合の大小によって定義されるべきだろう。

最後に「情報が定性的である」ということについて箇条書き程度に述べておきたい。
というのも、どのようなものが定性的であるかについては一般的に定義することは不可能だが、逆に定量的でない場合を考えてみると、それは軸と情報それぞれの要因に分けられる。
そして、それらは理論を現実に適用するのが困難な場合に、現実の近似として現れるという点で共通である。

・近似的な軸を定めている場合
軸として定められるような基準を列挙しても、「それぞれの軸について取り得る値」だけでは「情報の状態」を一意に決定することが出来ない場合。

・情報について何らかの作用が見出される場合
「情報の状態」を変化させる要因が情報自体に見出される場合。
このケースでは変化の要因を別の副体からの干渉によるものとして分離すべきだが、それが困難な場合。



§3.2 干渉における集約/分解の定義はどこまで支配的か?

ここで一つ、ある疑問が湧いてきた。
個別的なケースにおいて干渉を考察する場合、それらは結局のところ全て集約/分解の具体例と見なされ得るのだろうか?
逆に言えば、干渉には集約/分解以外の抽象的な定義は存在しないのだろうか?

軸においては、その通りだろう。
あらゆる干渉の状態は軸の組み合わせによって一意に決まるのだから、他の要因を仮定する余地が無い。仮にある軸が他の軸の影響を受けているなら、そのどちらかが不要な仮定であるということである。

しかし情報については、やはり定性的であることを認めているのが気になる。
§3.1で触れたように、情報自体に相互作用が内在するケースを想定しても構わないのである。
例えば、情報が時間に依存して変化する副体を想定してもよいのだ。

つまり干渉を情報の観点で見ると、抽象的な領域における集約/分解の定義が、具体的な領域においては意味を有しない場合が存在するのだ。

だがこの事実は集約/分解の以外の定義の存在をほのめかすものではない。
何故ならば干渉の組み合わせ、つまり「軸の集約」「軸の分解」「情報の集約」「情報の分解」それぞれの定義は排他的ではなく、同時に存在することが出来るからである。
情報についても実際は単なる値で表されることから、それぞれの軸に対応する値について集約/分解を組み合わせることで、あらゆる干渉を表現することが可能である。

これらの干渉にまつわる問題は、後で干渉を集合論的に定義する段になって明らかになったために書き足したものだ。
どの問題が機械的に解決され、どの問題が論者の個別的な考察に任せねばならないのか。それは理論が都度明らかにしていく必要がある。

それを見極めるためにも、集合論という道具をタルパ機械論に導入することには多大な意義があるのだ。



§4 副体、軸の集合論的定義

それではタルパ機械論の集合による定義に取り掛かろう。
もちろん、これについては集合論からは何の制約も受けないので、都合のよい概念を用いて定義することが出来る。

以降の説明では副体を軸の集合として表現するのだが、その表現形式についてはなるべく一般的な記述と違いが無いようにしたい。果たして上手くいくだろうか...

まずは副体を定義する。
副体 := { r | 副体の性質を表す軸 }
これについては疑いを差し挟む余地はないだろう。副体の存在は原理なのだから、単純な定義となる。
このような性質の分析こそ、論者の考察に任されるのである。だから性質が具体的にどういうものなのかについて理論が触れる必要は無い。
要は性質の組み合わせによって情報を粗方識別できるようなものであれば何でも良いのだ。
もちろん、分析の仕方については別に記事を書くつもりでいる。

では以降の考察のために必要な副体を挙げる。

副体A = {r, s, t}
副体B = {r, s, u}

これの意味するところは「副体Aはr,s,tの3つの軸を持っている」「副体Bはr,s,uの3つの軸を持っている」というのは分かるだろう。
ここで、この例を現実に当てはめて考えるのは止めた方がいい。単純な場合にはそれで理解できるが、実際のタルパや人間はそこまで単純ではない。
理論を上手く現実に適用するには、やはり個別に深く考察していくしかないのである。

そして軸は情報の性質の程度を表しているのだから、次のように定義してもいいだろう。
軸 := { e | 軸が表す情報の性質の程度 }
しかし情報については軸の要素として表すより、その時々に応じて軸に添字を付加して必要な分を表現したい。
軸の性質については抽象的であっても他の軸の性質と区別できるが、情報について抽象的な場合は個々の要素に分けがたい場合があるためだ。

§3の最後に述べたように、副体には軸に応じた空間が与えられる。
この例では軸r,sによって同一の空間上で干渉するので、軸r,sで表される性質が失われることは無い。
ただしこのような軸で表される情報が定性的であれば、情報自体が失われる可能性はある。



§4.1 干渉の集合論的定義(軸)

ここで軸によって表される情報を考慮しないのであれば、それぞれの軸を対応させた集合を考えることによって、簡単に干渉を定めることが出来る。
これは空間を考慮しないこと、空間における情報の相互作用を考慮しないことと同義である。
即ち干渉の定義は以下のとおりである。
干渉 := { (r,s) | r ∈ A ∧ s ∈ B }
定義に現れるAとBは副体であり、rとsはそれぞれの副体の軸である。これは副体Aから副体Bへの干渉を表している。
自明な干渉として干渉元のある性質干渉先の全ての性質に影響を与える場合が考えられるため、この定義が最も自然だろう。
そして「副体はあらゆる副体との干渉が考えられる」という原理にも反していない。

ところでこれらの要素はそのまま副体間の直積となっている。
つまり直積の部分集合として定義できれば、理論上は干渉であると見なすことが出来るのだ。その最たる例が、集約/分解関係なのである。
まずは「どんな副体が集約/分解関係にあるのか」「集約/分解関係における干渉」を定義する。その上でそれが「直積の部分集合となること」を証明していく。
r ∈ A ∧ r ∉ B
→軸rについて、BはAの集約である

s ∉ A ∧ s ∈ B
→軸sについて、BはAの分解である
§4で挙げた副体A={r,s,t}と副体B={r,s,u}について当てはめてみると、この両方が成立していることが分かる。
AからBを見たときに、軸tは集約の条件を満たしているし、軸uは分解の条件を満たしている
§3.2の「それぞれの定義は排他的ではなく、同時に存在することが出来る」とはこのことを指しているのだ。

ここである1つの軸について言えば、集約の逆は分解だということは間違いないだろう。
上の分解の定義で括弧内のAとBを逆にすれば、つまり視点を逆にすれば「AはBの分解である」と解釈できるが、r=sならば集約の定義と全く等しくなる。
つまり、集約の定義は分解の定義としても解釈できるというわけだ。逆も同じことが言える。

集約/分解関係における干渉は、この関係にある副体間について共通の軸によって定められるのだから...
集約/分解関係における干渉 := { (r,s) | r ∈ A ∧ s ∈ B ∧ r = s }
明らかに「集約/分解関係における干渉」→「干渉」は成立する。
したがって、干渉を集合間の直積と見た場合には部分集合の関係となる。

ところで上の定義は軸が全て等しい場合にも当てはまるだろう。この定義を満たすならば、集約/分解関係のどちらかに当てはまることを示している。
つまり軸について性質が失われない客観的な干渉は、集約/分解の特殊な例として位置づけられるのである。

最後に、少し具体的な話をしてみようと思う。軸については情報より制約が強いので、仮定を持ち込みやすいのだ。
軸は副体の性質を表すものであるが、これは常に有限個と考えていい。
無限の性質を持つならばあらゆる副体と干渉が発生するが、これを介して任意の副体間の客観的な干渉が存在すると解釈できる。これは現実に反しているだろう。

常に有限であるならば、軸についての制約自体が何かしらの指標として機能すると考えて良いはずである。
もし軸の表す性質について任意の制約を設けるなら、その範囲内でのみ適用される一般的な関係性を論じることが出来るのだ。
このことは特定のタルパーが認識可能なタルパ全体とか、あるいはダイブ界に属する存在全体について特化した考察において、その範囲内でのみ適用可能な一般的な関係性が見出され得ることを理論的に保証している。



§4.2 干渉の集合論的定義(情報)

情報について一般的に述べられることは少ないが、それぞれの軸の性質を表す値の組み合わせによって空間として表されることを考えれば、その大小を論じるのは簡単である。

ところで軸の性質を表す値は有限とは限らない。
特にその性質が連続性を持つ場合は明白なので今さら取り立てて言うほどでもないと思うのだが、情報についての干渉は軸とは違い、常にこのことを前提としなければならない。

情報の表現については§4で触れたとおり、軸に添字を付加する形式を利用する。例えば軸r,s,tの個々の情報は(ri,sj,tk)のように表せるとして良いだろう。
i,j,kはそれぞれの軸の性質の程度、言い換えれば空間上のある位置を表していて、これを全空間に渡って評価したものが副体そのものの持つ情報ということになる。

この記法に従って、情報の干渉を一般的に定義する。
干渉 := { (ri,sj) | r ∈ A ∧ s ∈ B ∧ r = s ∧ i ∈ λ(r) ∧ j ∈ λ(s) }
λ(r)は軸rについて個々の性質の程度を表すための添字集合
軸に着目する干渉が軸の直積で定義されるなら、情報についても情報の直積で定義されるのが自然だ。
情報の干渉は軸と独立ではなく、軸に従って発生する。軸に従うということは、副体そのものに従うことになる。
つまり意味としては、軸についての干渉と情報についての干渉とでは、副体間の干渉という点で何ら異なるところは無いのである。

ここで軸についての条件が、軸の集約/分解の干渉の定義と全く変わっていないというのは重要である。
情報の干渉は軸によって定められる空間上で行われるのだから、軸が一致しない副体間の情報の干渉というのはあり得ないのだ。
別の言い方をすれば、軸については軸の一致しない副体間の干渉は完全に主観的な干渉として解釈されるが、情報については完全に主観的な干渉というのはあり得ないのである。
情報の干渉については、必ず直積によって一般的に定められる何かしらの対応がなければならない。
ただし個別的には、情報自体の性質によって結果的に一切の対応を持たなくなる場合は考えられる。

上の定義における軸rが軸sと等しいということは、それを前提として以下のように定義しても良いはずである。
干渉 := { (ri,rj) | r ∈ A ∩ B ∧ i,j ∈ λ(r) }
情報の干渉についての一般的な定義はこの1行で上手く完結している。
副体間の干渉であること、性質の程度についての対応関係であること、軸が一致する部分においてのみ干渉が成立することが全て表現されている。

それでは集約/分解関係を定義しよう。
主なイメージは軸の場合とほとんど変わらないので関係性の定義は省いて、集約/分解に共通する抽象的な定義を示しておく。
集約/分解関係における干渉 := { (ri∈I,rj∈J) | r ∈ A ∩ B ∧ I,J ⊂ λ(r) ∧ I = J }
論理式を単純化するために多少工夫したが、添字集合I,Jはλ(a)の部分集合なので、結局は干渉の部分集合として定義されている。
それぞれ個別的な場合においてはI ⊂ JになったりJ ⊂ Iになったりするだけだ。
また部分集合に関わらず、添字集合に任意の関係を持ち込むことが出来れば、それによって集約/分解を定義することも可能である。その場合においては、例えばI ≤ Jなどと表されるだろう。

しかしながら情報は軸とは違い、定性的な干渉自らの相互作用によって、この関係性が崩れることがある点に注意しなければならない。
§3.2にある「抽象的な定義が具体的な場合に意味を失う」とはこのことである。

最後に簡単ではあるが、集約/分解のより有意義なケースを考察しよう。

一般的な意味での「空間」、特に軸が連続性を持つ場合における干渉では、ある情報が他のあらゆる情報と相互作用すると考えるより、ある種のまとまりとしての単位で作用すると考える方が自然である。
すると、空間にはその時々に応じて干渉を定める位相を見出すことが出来るのではないか?
もしある空間に位相を仮定できるならば、全ての情報について干渉を定める代わりに位相に対して定めることで、軸の性質が表す意味に合致する干渉を定義することが出来るだろう。

このアイデアは上に挙げた定義と一見関係性がないように見える。これまでは軸にせよ情報にせよ、1対1の干渉を前提としてきたからだ。
しかし実際の干渉では、複数の副体からの干渉を受けると考えるのが当然である。情報についても位相に触れたように、ある程度のまとまりを想定して然るべきである。

よって、この観点からもう一度干渉を考察し直したい。このタルパ機械論を現実に適用する道筋が明らかになると思う。



§4.3 干渉の集合論的定義(干渉場の考慮)

干渉について純粋にその意味だけを考えてみれば、次のようなことが言える。
副体は軸によって定められる空間に存在して、またその空間に存在することによって他の副体に影響を与えるのである。
つまり、副体がその根底的に干渉の対象とするものは、自分が属する空間であって他の副体ではない。
必然的に、干渉は1対1ではなく1対多の関係性となる。

これまではこの一部分に焦点を合わせて1対1の関係性と見なしてきた。現実はそれらの重ね合わせと解釈できるにせよ、果たして副体はその空間に属する他の全ての副体を知り得るのだろうか?

従って現実を正確に表すのであれば、純粋に数学的に定義するとしても、干渉を1対多と解釈しなければならないだろう。
このように干渉について1対多の関係性を考える際の空間干渉場と呼ぶことにする。
あらゆる副体はこの干渉場を介して、他の副体と干渉するのである。

それでは軸の干渉について一般的な定義を考察したいが、干渉場の性質を考慮すれば必然的な制約が存在する。
このような干渉場を考慮すること自体、軸の一致を前提としているのである。
干渉場を考慮する干渉の定義を切り取って1対1の関係と見る場合、それは§4.1で定義した集約/分解関係における干渉となる。

これらの事実を念頭に置いて、まずは干渉場を定義する。
干渉場 := { x | ∩i∈I Xi }
ここでXは干渉場を考慮する副体の集合族。Iは属する副体を表すための添字集合で、理論的な意味はない。
干渉場自体は適当な軸によっていくらでも定めることが出来るので、ここでは考慮する副体全てに共通する軸によって定められると表現した。

これまで2つの副体間に直接定義していた干渉は軸の対応だったから、干渉場を考慮する場合でも同じように定義できる。
干渉場を考慮する干渉 := { (r,x) | r ∈ A ∧ x ∈ ∩i∈I Xi ∧ r = x }
ここでiを固定すれば、つまり干渉場にはAの他に1つの副体しか含まれないとすれば、一切の仮定を持ち出すことなく二者間の場合と一致する。当然だが、それは集約/分解の前提条件も満たしている。

また干渉場は軸として表されるから、同時に空間であると解釈することも出来る。
空間は軸によって定められるという関係にあることも、ここで改めて理解できるだろう。

ところで干渉場と空間はこのような密接な関係にあるわけだが、必ずしも具体的な空間に対応させる必要は無い。
抽象的な性質を持つ軸を共有することが出来れば、ある種同一の抽象的な空間において干渉していると解釈できるだろう。

この解釈に従えば、次のような考察に至ることも可能ではないだろうか?
つまり、客観的な干渉が可能な範囲を表す軸を定めることが出来るのである。

話は簡単だ。干渉における軸の一致が客観性を表すのだから、逆に客観性を持つであろう干渉は何らかの軸が一致していると考えるのである。これを抽象的な軸として表す。
これによって、例えばあるタルパーが認識可能な範囲のタルパについての干渉場というのを容易に理論に組み入れることが出来るようになる。

さらに言えば、軸が一致するということは同一空間上に存在していると言い換えることも出来る。
最初からそういった軸や空間の性質に着目して客観性を論じることは難しいが、主客を論点とするのであれば、軸の一致だけを問題とすれば良いのだ。
干渉場という概念こそ、主客の根本的な論点とすべきところなのである。

次に情報の観点から干渉場について触れようと思ったが、これは情報の性質そのものなのである。
情報の性質は無論、個別的な場合に応じて変化するので一般化することはできないが、適切であろう条件のもとに次のように考えることが出来る。

ある情報が空間上の他の情報に与える影響は、個別的には何らかの制約を受けるはずである。
ある情報が空間上の全ての情報に作用する場合というのは考えにくいだろう。通常は性質の近しい情報(空間的に近しい情報)に対して作用するか、あるいは作用そのものが距離的な限界を持つかのどちらかである。
すると§4.2で触れたように、ある情報は情報のまとまりに対して作用すると考えるのが自然だ。その際、情報についての一般的な集約/分解は考慮されねばならない。「情報のまとまり」についてのまとまりを考慮する必要があるのだ。逆も同様である。

「情報のまとまり」は「軸の性質の部分集合」と解釈できるから、これを一般的に定義するならば、可能な部分集合を全て挙げれば良い。これならば軸の性質が有限(可算)か無限(非可算)かを問わずに定義できるではないか。
即ち、情報の性質は次のように一般的に定義される。
情報の性質 := { (X,Y) | X,Y ⊂ 2r }
rは任意の軸
2rは軸rの表す性質の程度についてのべき集合。要するにX,Yは「軸の性質の部分集合」についての集合である。
ここでX,Yから要素を一つ取り出してx,yと置いて(X,Y)ではなく(ri∈λ(x),rj∈λ(y))とすれば、二者間の定義と対応していることが分かる。

この定義の最も重要な部分は、情報の干渉場(性質)がべき集合によって定義されていることだ。
先に§4.2で空間に対して位相を定める考察があったが、ある集合に対する位相は、そのべき集合の部分集合となるのだ。
つまり「干渉場に対して位相を定める」とは、抽象的に言えば情報の性質を、具体的にはその性質についての自然な単位を、それぞれ定めることと同義である。
このような位相に対して具体的な性質を見出すことによって、自然な形で干渉を定めることが出来るのである。

最後に干渉場を考慮する集約/分解を定義する。

ところが、干渉場を考慮する場合は副体間に任意の関係性を定めることはできない。そもそも干渉場は副体間の1対多の関係を論じるために導入された概念だからだ。
しかし干渉が上で定義したように副体と干渉場の関係で表せることを考えると、集約/分解の解釈を変えれば可能なのではないか?
副体と干渉場について考えるのだから、集約/分解は副体にではなく干渉についての性質とすればよい。
干渉は副体と違って存在ではないから、これを集約性/分解性の干渉と表現するのが適切だろう。

最もこれは上でいくつか挙げた定義を少し変えるだけだ。よって軸と情報に分けた考察は省く。
ただし軸については干渉場を考慮することで一般的な集約/分解性を既に満たしているので、ここで個別の場合に触れる。
軸による干渉(集約性) := { (r,x) | r ∈ A ∧ x ∈ ∩i∈I Xi ∧ x ⊂ r }
軸による干渉(分解性) := { (r,x) | r ∈ A ∧ x ∈ ∩i∈I Xi ∧ r ⊂ x }
情報による干渉(集約/分解性) := { (X,Y) | X,Y ⊂ 2r ∧ X = Y }
結果的に集約/分解性の概念が集合における部分集合に上手く対応したことはありがたい。
そのおかげで副体間の任意の関係性について、ほとんどの部分は集合論的に理解できることが明らかになっただろう。
軸の性質は個別的な場合において任意に決めることが出来るのだから、逆に部分集合が自然に定まる形で性質を定義できれば、それだけで集約/分解性の土台に乗せることが出来る。

そのような観点からも、性質にまつわる概念については考察の余地が残されている。
特に連続性については(その必要性は否定されたにせよ)長らく理論の主題だっただけに、若干の未消化感は否めない。

以上で副体についての考察をひとまず終了する。

副体や干渉についての定義を眺めると、これだけで随分と個別的な存在・現象を説明できそうな気がしてくる。
しかし、実体のことを忘れてはならない。

副体だけで考察可能なのは既に与えられた副体,干渉のみ。
即ち、新たな副体や干渉が発生する可能性については、これまでの考察によっては一切扱うことが出来ないのだ。
それどころではない。副体を構成する軸、それに属する情報の性質、軸と情報によって定まる空間の性質、これらの具体的な姿形が創り出されるメカニズムは全て実体だけが支配する領分なのである。これらはあくまでも実体によって"与えられる"概念でしかない。

そして実体の活動は具体的抽象的を問わず、常に副体の構造の外にある

この理論を使用する論者がそれぞれの場合に応じて理論に"与える"ものが、即ち実体と呼ばれるものなのだ。
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