明確になった問題は共有される。共有された問題は議論される。議論された問題は無害化される。
1. 自然/道徳主義的誤謬
ダントツで多いのが道徳主義的誤謬。極端に言えば、「○○は××であるべきである。ゆえに○○は××である。」という形の論理構造を言う。
これを「タルパを消すべきでない。ゆえにタルパは消せない。」と表せば、どこかで見たような気がしてくる。もちろんこれは「タルパは消せない」という結論を否定したいのではない。
似たような詭弁として「タルパのあり方は人それぞれである。ゆえにタルパのあり方は人それぞれであるべきである。」という形の自然主義的誤謬が、特に一般論を否定する際に非常に多く見られる。
2. 早まった一般化
これはペンライトがやっているように、タルパを一般論として括って論じる場合によく出てくる。中でも一番多いパターンは「タルパは人間型である」という隠れた前提。
タルパを論じる際に便利な学問の1つに心理学(特にフロイト,ユング辺り)があるが、これを適用するためにはタルパの心理は人間と同じ構造であるとしなければならない。そこでこういった詭弁に基づく前提が置かれてしまう。
例えば、動物型のタルパもいる。架空の生物を模したものもある。一般論として括るならば、彼らの存在を無視すべきではないだろう。
3. 媒概念曖昧の虚偽
文脈によって異なる意味を持つ同じ言葉を混同する詭弁。もっとも、これが詭弁として意図的に使われるケースはほぼ無いようだが。
特にタルパを他の学問に関連付けて論じる際に現れる。
雑な例だが「タルパの存在は主観的である。主観的なものは曖昧である。よってタルパの存在は曖昧である。」という論理構造がこれに当てはまる。
「タルパは主観的である」における主観はタルパーにしか見えないことを指し、「主観的なものは曖昧である」における主観は定量化出来ないことを指している。同じ言葉だが、実際は全く別の概念なのである。
4. 未知論証/個人的懐疑に基づいた論証
「タルパは存在すると言われている。しかしその証拠はないので、タルパは存在しない。」という形の論理構造。専らタルパ否定派の意見に多い。未知論証。
あるいは肯定する場合でも「タルパは存在しないと言われている。しかしそれは信じがたいので、タルパは存在する。」というパターンもある。個人的懐疑に基づいた論証。
どちらも、そうである/そうでない証拠が乏しいことから、そうでない/そうであるという結論を導いている。
「タルパは存在しないと言われた。しかし目の前にタルパがいる以上、存在しないということは認められない。」
こーんな言い分もある。もっとも、これは正当な論理かもしれないが。
5. 伝統に訴える論証
「昔から言われていることは正しい」という形の論理構造。裏を取って「最近言われ始めたことは正しくない」という形も稀に見かける。
これは現在のタルパとチベット秘奥義のトゥルパを混同している場合に見られる。「トゥルパは訓練を必要とするから、タルパもそうである」と言った感じ。
いわゆる保守的な論理構造。
ダントツで多いのが道徳主義的誤謬。極端に言えば、「○○は××であるべきである。ゆえに○○は××である。」という形の論理構造を言う。
これを「タルパを消すべきでない。ゆえにタルパは消せない。」と表せば、どこかで見たような気がしてくる。もちろんこれは「タルパは消せない」という結論を否定したいのではない。
似たような詭弁として「タルパのあり方は人それぞれである。ゆえにタルパのあり方は人それぞれであるべきである。」という形の自然主義的誤謬が、特に一般論を否定する際に非常に多く見られる。
2. 早まった一般化
これはペンライトがやっているように、タルパを一般論として括って論じる場合によく出てくる。中でも一番多いパターンは「タルパは人間型である」という隠れた前提。
タルパを論じる際に便利な学問の1つに心理学(特にフロイト,ユング辺り)があるが、これを適用するためにはタルパの心理は人間と同じ構造であるとしなければならない。そこでこういった詭弁に基づく前提が置かれてしまう。
例えば、動物型のタルパもいる。架空の生物を模したものもある。一般論として括るならば、彼らの存在を無視すべきではないだろう。
3. 媒概念曖昧の虚偽
文脈によって異なる意味を持つ同じ言葉を混同する詭弁。もっとも、これが詭弁として意図的に使われるケースはほぼ無いようだが。
特にタルパを他の学問に関連付けて論じる際に現れる。
雑な例だが「タルパの存在は主観的である。主観的なものは曖昧である。よってタルパの存在は曖昧である。」という論理構造がこれに当てはまる。
「タルパは主観的である」における主観はタルパーにしか見えないことを指し、「主観的なものは曖昧である」における主観は定量化出来ないことを指している。同じ言葉だが、実際は全く別の概念なのである。
4. 未知論証/個人的懐疑に基づいた論証
「タルパは存在すると言われている。しかしその証拠はないので、タルパは存在しない。」という形の論理構造。専らタルパ否定派の意見に多い。未知論証。
あるいは肯定する場合でも「タルパは存在しないと言われている。しかしそれは信じがたいので、タルパは存在する。」というパターンもある。個人的懐疑に基づいた論証。
どちらも、そうである/そうでない証拠が乏しいことから、そうでない/そうであるという結論を導いている。
「タルパは存在しないと言われた。しかし目の前にタルパがいる以上、存在しないということは認められない。」
こーんな言い分もある。もっとも、これは正当な論理かもしれないが。
5. 伝統に訴える論証
「昔から言われていることは正しい」という形の論理構造。裏を取って「最近言われ始めたことは正しくない」という形も稀に見かける。
これは現在のタルパとチベット秘奥義のトゥルパを混同している場合に見られる。「トゥルパは訓練を必要とするから、タルパもそうである」と言った感じ。
いわゆる保守的な論理構造。
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無題
Wikipediaの「詭弁」の記事見てると勉強になりますよね。でも、五番目のやつなんて、日常でも普通に見かけ、それがよしとされてたりしますから侮れない。例えば「今までそうだったのだからやはり先輩を後輩は敬うべきだ」みたいな。そんなときに詭弁だよと指摘すると、「うわこいつめんどくせえ……」という目で見られるので現実じゃ指摘できないですが。
Re:無題
コメントありがとうございます!
>Wikipediaの「詭弁」の記事
そうそう、自分もwikipediaを参考にして書いてます。
他にも http://ronri2.web.fc2.com/index.html とか良い感じです。論理の基礎が詰まってるので、タルパの研究を始めたばかりの頃にはお世話になりました。
>でも、五番目のやつなんて、...
あるあるですね(笑)
どの詭弁も上手く使えば一見正しいように見えてしまうので要注意ですね...
>Wikipediaの「詭弁」の記事
そうそう、自分もwikipediaを参考にして書いてます。
他にも http://ronri2.web.fc2.com/index.html とか良い感じです。論理の基礎が詰まってるので、タルパの研究を始めたばかりの頃にはお世話になりました。
>でも、五番目のやつなんて、...
あるあるですね(笑)
どの詭弁も上手く使えば一見正しいように見えてしまうので要注意ですね...
Re:勉強になります。
コメントありがとうございます!
そうですね、数千字クラスの記事を書いてると、やっぱり僕でも自分が何言ってるか分からなくなる時がありますね...
そういう時は自分がよく知ってる世界に立ち返って考え直したりします。このブログで言えばタルパ治療学とか感覚化辺りかな?
そうですね、数千字クラスの記事を書いてると、やっぱり僕でも自分が何言ってるか分からなくなる時がありますね...
そういう時は自分がよく知ってる世界に立ち返って考え直したりします。このブログで言えばタルパ治療学とか感覚化辺りかな?