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読書百遍 其義自見
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タルパ治療学は今までとは違って万人向けに治療法の枠組みを提供する目的もあったわけだし、可能な限り理解の進みにくいポイントは排除しておきたい。
というわけで感覚化の理論までを含めた視点から、治療学を順に見直していく。
ただしこの記事で全てを説明はしないので、元の記事と照らしつつ読み進めてほしい。
タルパの構成要素

まず最初に、あらゆる生物は実体と副体の2つで成り立っていることを説明している。

副体とは、人間にとっては刺激を感じ取るための感覚器官のことだと思ってもらっていい。視覚を得るためには目が必要だし、聴覚を得るためには耳が必要である。この目や耳が副体に相当する。
しかしタルパにとってもそうであるとは限らない。視覚を得るには目が必要、と言うのは何の必然性もない結びつきであって、物理的な制約を持たないタルパにとっては例えば目以外で視覚を得ることも可能である。
これを、元の記事ではこのように抽象的に表現している。

「副体とは、実体を他人が認識するときの表現であり、存在である」

正確には、「副体とは、他の実体の副体を認識するときの表現であり、存在である」と言うべきだろう。
目があって、他人の容姿を認識できる。ならばこの容姿の人間はこの人だろう、という流れでその人そのものを識別することが出来る。
このような流れが他の感覚においても成り立つと言うのが、この副体の説明文の本意である。

一方で、実体とは、「ある副体を自明に別の副体に変換するような現象」だと言っていい。当時は実体の正確な表現が決まっていなかったので混乱していたが、今ならおよそ正確に説明できる。

ところで、リンゴは赤い。正確に言えば、リンゴと聞けば赤くて丸いのを想像するだろう。でもそれは何故か?「リンゴ」という概念と「赤」という概念は何ら必然的な結びつきは無いだろう。
リンゴが赤に結びつくのは、経験的に自明であるからと説明する他無い。そして、この経験的な自明さが、ある実体から見た別の実体のことだと言ってもいいかもしれない。
というのも、これは本質的な説明ではない。あくまでもある実体を基準に相対的に定義したに過ぎない。

結局のところ実体とは、自らの複数の副体を他者の経験的な自明さによらず、結びつけている現象のことである。
現象と強調しているのは、実体は存在そのもののことではないということを強調したいからである。
ただしこの「存在」は相応に抽象化された概念であり、例えば「赤」という色の概念も一存在である。また、「色」という概念自体も一存在である。



分類

以上を踏まえた上で考えれば、この分類で理解しにくい部分はほぼ無いだろう。
ただ「設定の剥離」についての説明がグダグダだったので、そこを補強しておきたい。

実体とは、自らの複数の副体を自分自身が結びつけている現象だと言った。つまり、ある実体の自分自身による副体の結びつきが、他者にとって経験的に自明であるわけでは無いのだ。
であるならば、タルパーがタルパに干渉するとき、それは「タルパーの経験的な自明さ」によってではなく、「タルパの経験的な自明さ」によって処理される。
この差が、設定の剥離を引き起こしている。

副体と副体の干渉は客観的だが、副体と実体の干渉は主観的だという言い方もできる。いや、正確には、副体を別のある副体に結びつける現象は主観的だと言うのが正しいだろう。この辺の主観客観が絡んでくる部分については感覚化の理論を持ち出せば完璧に説明できるが、今ここでそうするべきではないだろう...



副体レベルの干渉 - 副体の不可算無限性

この辺から様々な決まり事が出てくるが、それらは本質的なものではない。全て実体と副体の定義から導き出せるものである。

まずは、副体の不可算無限性について。
これは副体が他者と客観的に干渉するための存在であることから導ける。ただしそれをここで証明するのは骨が折れるくらいとっても面倒だったので、証明を省いてそういう性質があるということにしている。
それは半年以上後になって、感覚化の理論によって明文化された。ここで言う表出感覚とは副体に概ね等しい概念であると考えて良い。

何故不可算性を持たなければならないかについては簡単に証明できる。
ある空間的広がりを持つ表出感覚について、一部の空間に限定しても表出感覚として成り立つ。このように好きなだけ小さい空間に限定される表出感覚を仮定することが出来るが、それは同じ性質を持つ表出感覚であるから、一方が他の感覚に1対1対応するならば他方もそうなるべきである。つまり他の感覚を通して、 扱う空間の大小にかかわらず1対1対応させることが出来る。
その表出感覚が可算である場合は、扱う空間の大小が違えば1対1対応させることが出来ない。これは上の事実と矛盾する。

これはとても難解だが、要するに副体が可算無限性を持つなら、ある特定の条件下で副体としての意味を消失する。それはマズいだろうということを言っているのだ。



副体レベルの干渉 - 副体の集約/分解

ここで、元の記事ではある図を持ちだしている。
会話オート化の中に言語力があって、その中に筆談があって、...という構造。つまり筆談と他の何かを集めたものが言語力であって、言語力と他の何かを集めたものが会話オート化である、ということである。
ちなみに、ここまで来るともはや副体と言えるのかどうか怪しくなってくる。副体は他者の副体と客観的に干渉するための存在であって、会話オート化や言語力そのものにそんなことは出来ないからだ。
もっともどこまでを客観的と見なすかはケースバイケースなわけで、それを論じることに治療学的な意味は無い。

そして本来この図は無限次元の空間上に描かれるべきとしたが、それは例えば筆談は言語力以外の分解で見出し得ないわけではないという意味である。
あらゆる副体は、他のあらゆる副体の集約になり得るし、分解にもなり得る。これを図で表すためには無限次元の空間が必要になる。



副体レベルの干渉 - 情報の変質

副体から副体に情報が渡るとき、それは変質する。
これを正確に理解するためには、副体間の干渉は客観的であるという理解を捨てなければならない。客観的だという概念が邪魔になってくるのだ。
「客観的か主観的か」ではなく「どのくらい客観的かどのくらい主観的か」という観点から、副体を考える必要がある。だからタルパ治療学は、実は主客二元論を最初から捨てている。今までの客観的だとか主観的だという説明は二元論という意味で本質的なものであったわけではない。
そんなわけで、あらゆる存在はそれが他者と客観的な干渉を出来るかどうかに関わらず、副体であると見なせることを説明できる。

それによれば、副体間の干渉は必ずしも客観的であるわけではない。情報を正確に伝えているという保証は無いのである。
(だから元の記事で上げた図はちょっと誇張しすぎだ)

あるいはこんな説明もできる。

例えば自分がある文字列を声で他者に伝えるとき、口から音を発して、その音が他者の耳に入って、文字列として理解される。
このとき情報は、自分、音が伝わった空間、他者という少なくとも3つの実体を経由している。
実体が副体を別の副体に変換する現象は主観的であると言えることから、少なくとも、自分(の副体)→音が伝わった空間、音が伝わった空間→他者という経路で2度主観的な変換が行われたことが分かる。
つまりいくら客観的な副体を通していると言っても、伝言ゲームの要領で少しづつ情報は変質していくのである。



副体への治療

今までの事柄を押さえていれば、これをそのまま実用化するのは難しいことではない。
問題の直接的な原因がどこにあるのか、それをどの副体が不良であるかを測定しつつ集約/分解の操作によって原因となる副体に近づけていけば良い。
そしてあるタルパが「物理的な副体を持たない人間」であると考えることが出来るなら、そうでない副体については人間と同じ治療を適用できるのだ。
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