明確になった問題は共有される。共有された問題は議論される。議論された問題は無害化される。
しばらく前に「ナフラ」なる概念が現れたが、同じような意味で「思念体」という概念の使用も観測されるようになった。
どちらもその内包として「いかなる区分も持たない」という規定を有しているようだが、それではこの2つの概念の外延は完全に一致するように思えるし、実際これは簡単に証明できるのではないか?
もしこの2つの外延が異なるとすれば、「ナフラであって思念体ではない」または「思念体であってナフラではない」ような対象が存在し得る。
前者の場合はナフラの概念を「思念体である部分とそうでない部分」に区分できるし、後者の場合も思念体の概念を「ナフラである部分とそうでない部分」に区分できる。
しかしこれは思念体とナフラのどちらの内包の規定とも矛盾する。故に思念体とナフラの外延は一致する。
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どちらもその内包として「いかなる区分も持たない」という規定を有しているようだが、それではこの2つの概念の外延は完全に一致するように思えるし、実際これは簡単に証明できるのではないか?
もしこの2つの外延が異なるとすれば、「ナフラであって思念体ではない」または「思念体であってナフラではない」ような対象が存在し得る。
前者の場合はナフラの概念を「思念体である部分とそうでない部分」に区分できるし、後者の場合も思念体の概念を「ナフラである部分とそうでない部分」に区分できる。
しかしこれは思念体とナフラのどちらの内包の規定とも矛盾する。故に思念体とナフラの外延は一致する。
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