明確になった問題は共有される。共有された問題は議論される。議論された問題は無害化される。
前回で「主観と客観の違いなんて大したこと無い」という趣旨の発言をしたと思うが、今回は何故そう言えるのかを考えていこうと思う。
そのために次の通り定義して、命題を設定する。
主観:特定一個人に対してのみ干渉可能であること
客観:不特定多数に対して干渉可能であること
命題「主観≠客観である」
タルパに対して用いられる意味としてはこのような感じ。
干渉といっても例を挙げるとキリがないので、ここではしりとりを考えることにしよう。
あなたが思う「自分と主観的な対象とのしりとり」と「自分と客観的な対象とのしりとり」を思い浮かべて欲しい。
ここで注意してほしいのは、この二つの文脈での「自分」が確実に同じ人間を指していなければならないことだ。
まとまったところで次に進もう。もう一つ質問がある。
二つのしりとりの進行を紙に書き、「自分」ではない他者に見せる。果たして他者はどちらかが主観か客観かを、その紙だけを見て区別することは出来るか。
出来ない。という答えに辿り着くはずだ。出来ると仮定して矛盾を導くのが簡単なやり方だろう。
この結果から次のことが言える。これは補題としよう。
二者間で発生する干渉から、双方について主観的または客観的な存在であることを証明することはできない
即ち、ある存在が主観的か客観的かは、大前提としてまず存在していることを知っている必要がある。干渉の発生によって間接的に存在していることを知ることはできるが、どちらか判別がつかない。
さて、そろそろ夜も遅いので核心に迫らなければならない。
最後の質問はこうだ。
「自分」にとって主観的な存在がある。この存在を他者が知る方法はあるか。
あると答えると、主観的な存在であるという前提が崩れる。
ないと答えると、干渉の発生によって存在を知る方法があることの説明がつかない。
こうやって矛盾は発生する。補題も合わせて考えれば、この矛盾を解消する方法は無い。
よって主観≠客観という命題は誤りであったことが確認できる。
つまり、あるタルパが主観的であることが、客観的でないことの証明になっていないのである。
一旦解説を挟んで、次はこの矛盾を解消してみよう。今回はここまで。
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そのために次の通り定義して、命題を設定する。
主観:特定一個人に対してのみ干渉可能であること
客観:不特定多数に対して干渉可能であること
命題「主観≠客観である」
タルパに対して用いられる意味としてはこのような感じ。
干渉といっても例を挙げるとキリがないので、ここではしりとりを考えることにしよう。
あなたが思う「自分と主観的な対象とのしりとり」と「自分と客観的な対象とのしりとり」を思い浮かべて欲しい。
ここで注意してほしいのは、この二つの文脈での「自分」が確実に同じ人間を指していなければならないことだ。
まとまったところで次に進もう。もう一つ質問がある。
二つのしりとりの進行を紙に書き、「自分」ではない他者に見せる。果たして他者はどちらかが主観か客観かを、その紙だけを見て区別することは出来るか。
出来ない。という答えに辿り着くはずだ。出来ると仮定して矛盾を導くのが簡単なやり方だろう。
この結果から次のことが言える。これは補題としよう。
二者間で発生する干渉から、双方について主観的または客観的な存在であることを証明することはできない
即ち、ある存在が主観的か客観的かは、大前提としてまず存在していることを知っている必要がある。干渉の発生によって間接的に存在していることを知ることはできるが、どちらか判別がつかない。
さて、そろそろ夜も遅いので核心に迫らなければならない。
最後の質問はこうだ。
「自分」にとって主観的な存在がある。この存在を他者が知る方法はあるか。
あると答えると、主観的な存在であるという前提が崩れる。
ないと答えると、干渉の発生によって存在を知る方法があることの説明がつかない。
こうやって矛盾は発生する。補題も合わせて考えれば、この矛盾を解消する方法は無い。
よって主観≠客観という命題は誤りであったことが確認できる。
つまり、あるタルパが主観的であることが、客観的でないことの証明になっていないのである。
一旦解説を挟んで、次はこの矛盾を解消してみよう。今回はここまで。
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