明確になった問題は共有される。共有された問題は議論される。議論された問題は無害化される。
密閉できる箱にネコと毒ガス発生器を入れる。
外から毒ガス発生器を作動させるが、この際50%の確率で作動し、残りは作動しない。
作動後箱を開けた時、ネコは死んでいるかどうか。
量子力学をマクロの世界へ対応させることへの問題点を、直感という点から批判した有名な喩え話。シュレーディンガーの猫。
...もっとも、このブログでは散々叩かれたネタではあるが。
融合仮説に則ると迂闊に言葉使えないし、大概にしろってぐらい抽象的な概念がホイホイ出てくるからな。できるだけわかりやすく説明したつもりだ。
そういうのが苦手な人は読むの止めといたほうがいいかもしれない。融合仮説はまだ明文化が終わったわけではないので、注釈が付きまくる可能性大。ってか付いた。
今回の真面目な話はズバリ、観測とは何か。
まず観測という行動が起こるからには、対象となるモノ(※1)が存在しなければならない。
モノが存在するとはつまり、そのモノをモノたらしめる絶対的な(※2)概念である意識(※3)が存在するということである。
そして絶対的な存在である意識は、他者に認識されるために、相対的な(※4)概念である自由意思(※5)を持つ。
この意識と自由意思の関係によってモノは成り立つ。
人間、ひいては全てのモノ(※6)は、この相対的である自由意思を使って自身以外の存在を、同じく相対的である自由意思から知ることが出来るのだ。
即ち観測とは、モノが持つ絶対的な意識を相対的な自由意思から知ること、と定義できる。
ただし絶対と相対の間には無限小の不連続点がある(※7)ため、どれだけ相対的である観測行為の精度を上げても、絶対性を直接認識することは出来ない。
これが不確定性原理や観測者効果として知られる、アレである。
これで観測の定義と意味付けは終了したが、今回はこれを使って不確定性原理と観測者効果の本質的な違いについて証明しよう。
観測者効果とは、観測という行為の対象に与える影響のため、観測行為の精度には上限があるというもの。
対して不確定性原理とは、一方の物理量の観測誤差を小さくすれば、もう一方の物理量の観測誤差が大きくならざるを得ないというもの。ただしこれは観測行為によって起こるものではなく、このような性質を量子自身が持っているというもの。
この違いも、先ほどの話を用いれば明確に分別可能である。
観測とは相対的な自由意思を認識することであった。
この自由意思自体は自身の絶対性を認識することは出来ないため、他者からの影響によって流動性を示す。
この流動性が、観測者効果を引き起こす。
観測者効果とは、相対性がもう一つの相対性に干渉することによって必然的に生じる差であると言い換えることが出来る。
一方で、絶対性と相対性の間にある不連続点の話も忘れてはならない。
何度も言うが、相対性は絶対性を認識できない。どれだけ相対性による振る舞いを絶対性に近づけるとしても、そこには絶対性との間に必ず差が生じる。
不確定性原理とは、絶対と相対の間の不連続点によって必然的に生じる差であると言い換えられる。
(これが不確定性原理を量子自身が有することの証明にもなるだろう)
※1 モノ
絶対性を有するあらゆる存在の中で、特に相対性を有するもの。
対義は現象であり、これは相対性を持たない。
※2 絶対(絶対性、絶対的な)
他からの干渉によって変化しないこと。流動性がないこと。またはその性質、その性質を有するもの。
※3 意識
モノが持つ絶対性の別称。
文中では現象が持つ絶対性には触れていないので、絶対性と意識とを読み替えても問題ない。
※4 相対(相対性、相対的な)
他からの干渉によって変化すること。流動性があること。またはその性質、その性質を有するもの。
実際にはモノは一つの相対性しか持たないのではなく、いくつもの相対性を持ち得る。
また相対性は不可算無限的な概念であるため、これを段階的に分けて論じることは出来ない。
現象は相対性を持たない。
※5 自由意思(意思、意志、自由意志)
モノが持つ相対性の別称。文中の相対性と意志とを読み替えても問題ない。
※6 人間、ひいては全てのモノ
全てのモノは、絶対性と相対性を有する。例外はない。
※7 絶対と相対の間には無限小の不連続点がある
無限小であるため、この不連続点自体の観測は不可能である。
外から毒ガス発生器を作動させるが、この際50%の確率で作動し、残りは作動しない。
作動後箱を開けた時、ネコは死んでいるかどうか。
量子力学をマクロの世界へ対応させることへの問題点を、直感という点から批判した有名な喩え話。シュレーディンガーの猫。
...もっとも、このブログでは散々叩かれたネタではあるが。
融合仮説に則ると迂闊に言葉使えないし、大概にしろってぐらい抽象的な概念がホイホイ出てくるからな。できるだけわかりやすく説明したつもりだ。
そういうのが苦手な人は読むの止めといたほうがいいかもしれない。融合仮説はまだ明文化が終わったわけではないので、注釈が付きまくる可能性大。ってか付いた。
今回の真面目な話はズバリ、観測とは何か。
まず観測という行動が起こるからには、対象となるモノ(※1)が存在しなければならない。
モノが存在するとはつまり、そのモノをモノたらしめる絶対的な(※2)概念である意識(※3)が存在するということである。
そして絶対的な存在である意識は、他者に認識されるために、相対的な(※4)概念である自由意思(※5)を持つ。
この意識と自由意思の関係によってモノは成り立つ。
人間、ひいては全てのモノ(※6)は、この相対的である自由意思を使って自身以外の存在を、同じく相対的である自由意思から知ることが出来るのだ。
即ち観測とは、モノが持つ絶対的な意識を相対的な自由意思から知ること、と定義できる。
ただし絶対と相対の間には無限小の不連続点がある(※7)ため、どれだけ相対的である観測行為の精度を上げても、絶対性を直接認識することは出来ない。
これが不確定性原理や観測者効果として知られる、アレである。
これで観測の定義と意味付けは終了したが、今回はこれを使って不確定性原理と観測者効果の本質的な違いについて証明しよう。
観測者効果とは、観測という行為の対象に与える影響のため、観測行為の精度には上限があるというもの。
対して不確定性原理とは、一方の物理量の観測誤差を小さくすれば、もう一方の物理量の観測誤差が大きくならざるを得ないというもの。ただしこれは観測行為によって起こるものではなく、このような性質を量子自身が持っているというもの。
この違いも、先ほどの話を用いれば明確に分別可能である。
観測とは相対的な自由意思を認識することであった。
この自由意思自体は自身の絶対性を認識することは出来ないため、他者からの影響によって流動性を示す。
この流動性が、観測者効果を引き起こす。
観測者効果とは、相対性がもう一つの相対性に干渉することによって必然的に生じる差であると言い換えることが出来る。
一方で、絶対性と相対性の間にある不連続点の話も忘れてはならない。
何度も言うが、相対性は絶対性を認識できない。どれだけ相対性による振る舞いを絶対性に近づけるとしても、そこには絶対性との間に必ず差が生じる。
不確定性原理とは、絶対と相対の間の不連続点によって必然的に生じる差であると言い換えられる。
(これが不確定性原理を量子自身が有することの証明にもなるだろう)
※1 モノ
絶対性を有するあらゆる存在の中で、特に相対性を有するもの。
対義は現象であり、これは相対性を持たない。
※2 絶対(絶対性、絶対的な)
他からの干渉によって変化しないこと。流動性がないこと。またはその性質、その性質を有するもの。
※3 意識
モノが持つ絶対性の別称。
文中では現象が持つ絶対性には触れていないので、絶対性と意識とを読み替えても問題ない。
※4 相対(相対性、相対的な)
他からの干渉によって変化すること。流動性があること。またはその性質、その性質を有するもの。
実際にはモノは一つの相対性しか持たないのではなく、いくつもの相対性を持ち得る。
また相対性は不可算無限的な概念であるため、これを段階的に分けて論じることは出来ない。
現象は相対性を持たない。
※5 自由意思(意思、意志、自由意志)
モノが持つ相対性の別称。文中の相対性と意志とを読み替えても問題ない。
※6 人間、ひいては全てのモノ
全てのモノは、絶対性と相対性を有する。例外はない。
※7 絶対と相対の間には無限小の不連続点がある
無限小であるため、この不連続点自体の観測は不可能である。
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